「清水寺の奥の院」京都・法厳寺が本尊公開 傷み深刻、復興目指す
携帯電話も通じない京都市山科区の山中に1軒の寺がある。「清水の舞台」で知られる世界遺産・清水寺の「奥の院」と呼ばれた法厳寺(ほうごんじ)。10年前の大雨被害は乗り越えたが、本堂などの文化財の傷みは深刻だ。寺宝を初めて公開し、拝観料を復興に充てる。
特別公開は、4月21日までと29日~5月7日。細い山道なので、徒歩での参拝を推奨。ふもとのバス停から寺まで約1時間です。
山道を歩くこと約1時間。滋賀県境の牛尾山(551メートル)に近い標高370メートルの森の中に、寺はある。周りに民家はない。
開山は770年。古くから山岳修行の地だった。
本尊の十一面千手千眼(せんげん)観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)立像(りゅうぞう)(高さ1・2メートル)は、江戸時代の地誌「都名所図会」などによると、天智天皇の手彫りと伝わる。朝鮮半島の白村江(はくそんこう)での敗戦後、近江大津宮(おおつのみや)(大津市)に遷都した際に刻んだ像が、後に寺に移されたという。
寺を開いた延鎮上人は、約6キロ離れた清水寺の開山として知られる。地名の「音羽」は清水寺の山号と同じで、両寺の本尊は同じ木から彫られたと伝わることなどから、江戸時代には「清水寺の奥の院」と称された。しかし、明治の廃仏毀釈(きしゃく)で荒廃。現在は、修験道の寺院として山伏らの修行の地となっている。
そんな山寺を災害が襲ったのは2013年9月。嵐山を流れる桂川の氾濫(はんらん)をもたらした台風18号が、境内前の谷を崩落させた。約200段の石段や門が流失し、寺とふもとを結ぶ山道も土砂崩れで寸断された。
道は国の災害復旧支援で、門は信徒らの協力で再建されたが、境内の建物や寺宝などの文化財の老朽化は深刻なままだ。
1689年(江戸初期)建造の本堂は、将来的に文化財指定の可能性がある「京都府暫定登録文化財」に選ばれている。しかし、屋根の裏側はトタンで覆われ、正面は2本のつっかえ棒で支えている状態だ。
寺の由来を伝える7メートル超の巻物「法厳寺縁起絵巻」(江戸時代)は、多数の折れじわがあるなど劣化が著しい。
このため、寺は今春、拝観料を文化財修理に充てる京都古文化保存協会主催の「京都非公開文化財特別公開」(朝日新聞社特別協力)に初参加。絵巻や延鎮がこの地で出会ったという古代の僧・行叡(ぎょうえい)がはいたと伝わる沓(くつ)(木靴)を初公開し、年に2日しか開扉しない本尊や弘法大師像なども披露する。
田中祥祐住職(48)は「ここに来たら自然の中で生かされていることを実感できる。寺に伝わった文化財を後世に残すため、お力をお借りしたい」と話す。
特別公開は21日までと、29日~5月7日。拝観料は大人1千円、中高生500円。寺への山道は細く、徒歩での参拝を推奨する。JR・京阪山科駅からバスに乗り、小山バス停で下車すれば徒歩約1時間。受け付けは午後4時までだが、早めの参拝が望ましい。
問い合わせは京都古文化保存協会(075・451・3313)。法厳寺も含む「京都非公開文化財特別公開」の詳細は、協会ホームページ(http://www.kobunka.com/)で。(筒井次郎)
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