【取材にあたって】「ミャンマーに関心を」帰国した久保田さんの思い
「ミャンマーの報道が減っている。この国への関心も低くなっている」
そんな危機感を抱き、単身で現地に乗り込んだ映像作家の久保田徹さん(27)。昨年7月に最大都市ヤンゴンで市民の抗議デモを撮影したところを国軍に見つかり、111日間も拘束された。
国軍がクーデターで実権を握ったのは2021年2月。人権団体によると、その後国軍に殺害された市民は3千人を超す。
久保田さんはデモの集団から離れて望遠レンズで撮影し、安全には気をつけていたつもりだった。他人を巻き込みたくなくて、現場にはひとりで向かった。
ただ、クーデター後のミャンマーでは、安全な取材と危険な取材の線引きは難しい。
平穏に見える都市部は国軍の監視下にあり、どこで誰が見ているのか分からない。地方や国境地帯では武装した市民に国軍が爆撃を加えており、そもそも現場に入るのは困難だ。インターネットが遮断されている地域も多い。電話での取材は盗聴の恐れが伴う。
大勢のミャンマー人記者が外国へ逃れた。国内に残っているのは身を隠して取材を続ける一握りのミャンマー人記者と一部の外国メディアだけ。世界各地から記者が集まっているウクライナと比べても、人数はだいぶ少ない。
拘束後の久保田さんは、ヤンゴンにあるインセイン刑務所の4号棟29番の独房に入れられた。民主化指導者アウンサンスーチー氏もかつて拘束された、悪名高い刑務所だ。
暴力を振るわれる恐怖は感じなかった。だが、刑務所内の裁判所で扇動罪などの罪で計10年の刑期を下された。終わりの見えない拘束の日々を送るのは、絶望との闘いだったという。「先のことは考えないように、期待しないようにしていた」と話す。
ある日、何年も自由を奪われた囚人たちの目の奥に漂う闇に気づいた。それ以来、「彼らの目を見るのが怖くなった」という。「ここにいたら、いずれ自分もあんな目になってしまうのかと、恐怖を感じた」
ミャンマーでは1万人以上の市民が今も拘束されている。久保田さんの体験を通じて、その背後にいる、自由を奪われた大勢の人たちの惨状にも思いをはせたい。(ヤンゴン=福山亜希)
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