ダライ・ラマの親衛隊長になった日本人 戦前の探検家の足跡を展示
星井麻紀
明治・大正期に群馬からチベットを目指した男性がいた。旧佐位郡上植木村(現・伊勢崎市)生まれの探検家、矢島保治郎(1882~1963)。ダライ・ラマ13世の親衛隊長にまで上り詰めたこの「規格外」の探検家と、数奇な運命をたどったチベット人の妻ノブラー(1894?~1923)の足跡を振り返る企画展が5月1日から、みなかみ町の谷川岳山岳資料館で始まった。
矢島は人生で2度、チベットに渡った。
1度目は日本人として初めて中国・ダルチェンド(現在の四川省康定)を経由するルートで入り、ラサに到達。チベットは当時、清と衝突し、外国人の出入りを厳しく制限していたが、変装したり人間関係を作ったりして、大冒険の末に潜入に成功した。
2度目はヒマラヤ山脈を越えてラサに入り、滞在は約6年3カ月に及んだ。
ダライ・ラマ13世に気に入られ、チベット軍の近衛部隊の設立に協力したほか、ダライ・ラマ直属の親衛隊を編成し、隊長に就任。豪商の娘ノブラーと結婚して長男意志信(いしのぶ)が生まれ、ダライ・ラマの夏の宮殿ノルブリンカで暮らす特別待遇を受けた。
だが、日本人の矢島がチベッ…