妻の言葉が駆り立てた夢、大学以来の参考書 53歳はフィジーに渡る

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安藤仙一朗
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 大学を卒業し、保険の営業マンとして会社一筋。真面目に働き、次長に出世していた。

 3人の子宝にも恵まれ、一番下の長男も高校3年生になった。

 「子育てもめどがついたね」

 2020年の夏ごろ、夫婦の晩酌でそんなことを話題にしているときだった。

 自分も何か新しい挑戦をしてみたい――。そんな漠然とした思いを口にすると、妻が言った。

 「あなたには野球があるじゃない」

 その言葉に、夫は9年前に甲子園で得た「そんな道もあるのか」という感動を思い出した。

 玉城健さん(53)=沖縄県浦添市=は、元高校球児だ。県立知念高で外野手だった。

 レギュラーにはなれなかった。ただ、下級生の頃から不思議とよく指名されて、練習試合の審判を任されていた。

 高校卒業後、野球部の恩師から声をかけられた。

 「高校野球の審判をやってみないか」

 選手としては目立たなかった自分を気にかけてくれていたことがうれしくて、講習会に参加した。

 翌年、なりゆきで沖縄県高校野球連盟審判部の審判員になった。大学に通いながら、県内の大会でグラウンドに立った。

 先輩の審判員からは、プレーを見る位置取りが悪いとよく叱られた。それでも、好きな野球が「特等席」で見られる喜びは何物にも代えがたかった。

 保険会社に就職しても審判員を続け、実績を重ねると、次第に塁審だけでなく球審も任せられるようになった。

 「審判員はグラウンドの教師」。そんな思いで、1試合1試合、真剣に球児たちと向き合いジャッジを下してきた。

 14年の春、阪神甲子園球場

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