東ティモールの「バイケーノ語」話す元自衛官 習得のコツは「笑顔」

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下地毅
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 趣味の無人飛行機(ドローン)を広報にいかしている公務員がいる。と、ここまでならよくある話かもしれない。その人が、インドネシア語と東ティモールの公用語と地方言語を理解し、クメール語も少々となるとどうか。京都府和束町の会計年度任用職員木崎茂さん(69)、あなたは何者ですか。

 答えは元自衛官。2008年の定年退官後しばらくして和束町に雇われた。いまは週に3日、総務課の防災・情報処理技術者としてネットワークの保守を手がけている。

 和束町の茶農家の次男にうまれた。小中学校の勉強はからきしだめで無遅刻無欠席だけが自慢だ。「子どものころは悪いことばかりしていたな。畑のスイカをとって逃げたりしてね」。のめりこんだのがアマチュア無線で、かたことの英語をつかって世界とつながるたのしさを知った。

 職業訓練校をへて17歳からの6年間は松下(現・パナソニック)の系列販売店につとめた。テレビやエアコンの修理から電気温水器の配管までなんでもやった。

 自衛官になったのは1977年、22歳のときだった。前職の技術とアマチュア無線の知識をいかせるかもしれないと転じた。

 阪神淡路大震災などの災害現場で無線連絡を担った。なかでも思い出に残っているのは、国連平和維持活動(PKO)のために92年の半年間カンボジアへ連絡陸曹として派遣されたことだ。

 出発まえ、どっさりと詰めこんだアマチュア無線を見とがめられた。「おまえはアマチュア無線をしにいく気か」と上司に怒られた。

 「でもね、カンボジア政府からアマチュア無線の免許をとって世界中に発信したから、『ここに日本がいる』と広報になったとおもうな。たまに日本のかあちゃんに『買いものにいったか』と聞いたこともあったけれどね」

 東ティモールにもPKOで2003年の半年間、通信陸曹として滞在した。

 「インドネシアも東ティモールもみんな笑顔がすがすがしいんだ。内戦で足を失った人でもこっちが元気になるほどの笑顔でね。どの子どもも目標をもっていて輝いていたなあ」

 現地の人とまじわりながらインドネシア語、東ティモールの公用語テトゥン語と山の中の集落だけで通じるバイケーノ語を身につけていった。

 「ことばを覚えるのはかんたんです! 子どもと遊ぶんですよ。みんなで山にマンゴーやパパイアをとりにいって、こっちは竹とんぼの作りかたや縄跳びをおしえて。そのうちに親が『うちに飯を食いにこい』と誘ってくれるようになる。遠慮なくいくよね。人の笑顔を好きになって自分も笑顔をふりまくということですわ」

 08年に定年退官したあと和…

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