6回目の引っ越しで最北の街へ 私に与えられた役割を果たせた奇跡
「引っ越しの嫌なところは、せっかく積み上げたものを捨てていかなきゃいけないところ」
3月下旬から北海道稚内市に住み始めた女性・Mさん(43)はそう思う。
24歳で結婚してから、夫の転勤に伴う引っ越しは今回が6回目。
すべて道内で、稚内に住むのは3回目だ。
最初に稚内に住んだ始まりの日が2011年3月12日。
前日の11日、住んでいた道東の街で引っ越しの荷出し中、床を拭いていたらめまいがした。
と思ったら、めまいではなく地震だった。東日本大震災だ。
翌日から稚内で暮らし始めたが、通信状況が不安定で友人たちとなかなか連絡がとれなかった。
見知らぬ土地で、リアルでもネットでも誰ともつながることができず、ただただ不安だった。
そんなスタートだったが、住んでみると稚内はいい街だった。
「日本最北端で何もない」「とにかく風が冷たい」
友人たちからはそう聞かされていて、確かに風は強かった。
でも、何もないなんてことはない。
何もないなら自分たちで楽しいことを作ろう、とイベントを企画する人たちがいた。
道を歩いているとよく「どこから来たの?」と気さくに声をかけられ、それがきっかけで仲良くなった人もいる。
「不便だけど好き。好きだけど不便」。稚内とはそんな街だと思う。
◇
今年3月下旬まで住んでいた道北の都市は、実家に近かった。
そこに住み始めてまもなく、母が「がん」と診断された。
手術で取り除くのが難しい場所で、長くは生きられないと家族みんなが覚悟した。
姉からは「どんな事情であれ、あなたが近くにいてくれて助かった」と言われた。
代わる代わる家族で母を世話し、みとることができた。
「もしかしたら私、母をみとるためにこの地に呼ばれたのかもしれない」
後になって、そんなことを思うようになった。
そうであるならば、3回目の稚内でも何かしらの役割が私に与えられているのだろうか。
その答えは、1カ月もしないうちに明らかになった。
ゴミ袋を探していたら
引っ越してきた当日の3月2…
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