わたしもゲンだった 「はだしのゲン」連載50年
漫画「はだしのゲン」が6月、連載開始から50年を迎えます。作者の中沢啓治さんは、自身の被爆体験を基に「ゲン」を描きました。誕生までのいきさつや、ひとたび核兵器が使われれば、人間に何が起きるのかを伝えます。
「ちょっとどぎついね」
6歳で被爆した中沢啓治さんは、母親の死をきっかけに、27歳で初めて原爆をテーマにした漫画「黒い雨にうたれて」を描いた。
大手出版社はどこも載せてくれず、漫画はほこりをかぶった。
しかし、原爆への怒りは収まらなかった。
数年後。中沢さんは被爆2世を主人公にした漫画の粗原稿を描き上げ、娯楽漫画を掲載してくれていた「週刊少年ジャンプ」の編集部に持ち込んだ。
中沢さんの自著によれば、編集長だった長野規(ただす)さん(故人)が読んでくれた。
「グシュン! グシュン!」
緊張しながら反応を待っていると、長野さんは鼻をかみ、泣いていた。
「20ページ追加! 80ページで描けっ!」
そして、自伝的な漫画も描くよう勧めてくれた。
「恥ずかしい」という中沢さんを、長野さんが「かき残してください。言いたいことはまだいっぱいあるでしょう」と背中を押した。
「漫画でかけるのは、中沢さんしかいないんですよ」
こうして1973年6月4日号から、「はだしのゲン」の連載が始まった。
「エンタメ雑誌でなぜ連載を続けるんですか?」 編集長の答え
「あの作品は特異な存在でした」
「ゲン」の担当編集者だった山路則隆さん(75)は振り返る。
当時のジャンプは創刊したばかりで、ギャグ漫画が人気だった。ゲンは、読者の人気投票で、決して上位ではなかった。好意的な読者も多いが、「悲惨すぎて読みたくない」という声も届いた。
「自分たちが作っているのはエンターテインメント雑誌で、読者を深刻にさせるものではない。なぜ連載を続けるんですか?」。社内で異論も出始めた。
長野さんはこう返した…
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- 【視点】
■広島サミットで『はだしのゲン』を無料配布せよ 戦争のバカタレ。心からそう思う。 このネタをコメントプラスで書くのは7回目くらいだと思うのだが、大事なことだから書こう。実家によくやってきていた、真っ赤なサンタクロースは小2のクリスマ
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