東京電力福島第一原発が立地し、事故で全町民が避難を強いられた福島県双葉町。昨夏、一部で避難指示が解除されて11年5カ月ぶりに人が住めるようになったが、住む人は事故前の1%ほどだ。町の再生をどう図るのか。原発と歩んだ道のり、そして再び原発活用にかじを切ったこの国をどう見るのか。伊沢史朗町長に聞いた。
いざわ・しろう 1958年、福島県双葉町生まれ。獣医師。町内で動物病院を営み2003年から町議、東日本大震災後の13年3月から町長。現在3期目。
――昨年8月末、原発事故から11年5カ月ぶりに、やっと双葉町の一部に人が住めるようになりました。まだ町全体の面積の15%ほどですが、中心部を含むので、かつて人口の6割が住んでいたエリアです。住人の戻り具合は。
「震災当時、町の人口は7140人でしたが、いま暮らすのは約70人です。スーパーもないので、住民は隣町で食料や日用品を買うか、平日の昼間に来る民間の移動販売を利用しています。小・中学校は三つ、高校は一つありましたが、町内では一つも再開できていない。以前は充実していた医療や介護施設も、いまは今年2月に開所した町の診療所だけ。震災前の状態には全然、戻っていません」
――伊沢さん自身は、どんな生活を送っていますか。
「自宅は避難生活の間に動物に荒らされ、においもひどく、とても住めない状況になったので解体しました。ローンを組んで元の場所に再建中で、8月に完成予定です。いまは町内のホテルに泊まって、役場に通勤しています」
――昨年11月の町民への意向調査では、町に「戻りたい」は14%、「戻らない」が56%でした。
「避難が長引くほど、戻らない人は増えるのが現実です。仕事や学校、かかりつけの病院など避難先での生活が根づき、新しい持ち家を買う人も多く、戻るハードルが高くなるからです。双葉町は、原発事故で避難を余儀なくされた市町村のなかで、住めるようになるのが最も遅かった。町民に戻ってもらうのは、すごく厳しい状況です」
――昨年の町民説明会では「戻る人は少ないのだから、整備に金をかけず、町内の土地を国が買い取って廃棄物の処分場にすればいい」と強い口調で発言する人もいました。聞いていた伊沢さんの悲しそうな表情が、私には印象に残っています。
「何とか町を残そうとやって…
- 【視点】
福地記者のコメントにもあるように、地域も人も傷つく。「傷つく」と書くといかにも大したことのない被害に見えますが、そこにあった暮らしが奪われ、人々の絆が断ち切られるというのは、地方の小さな自治体にとっては数値などで表せないとてつもない被害だと