第2回ロシアと対峙した外交官、小村寿太郎を生んだまち 守る歴史と風土

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構成・加藤裕則
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ななつ星の経営論 ~生みの親が語る人と街~

超豪華な寝台列車「ななつ星」を世に出し、JR九州を上場させた元社長・会長の唐池恒二さんがビジネスの秘訣(ひけつ)を語ります。処世訓やネーミング論など独自に編み出した法則をユーモアたっぷりに解説します。

 ロシアがウクライナへの軍事侵攻を続けています。今から117年前のことではありますが、ロシアと世界史に残る外交交渉を成し遂げた人物が九州にいます。

 宮崎県出身の小村寿太郎です。1905年、外相として米国のポーツマスでロシアと約1カ月の激しい交渉の末、15条に及ぶ講和条約を結びました。

 当時、日本は疲弊していました。兵も武器も資金も底を突いていました。しかし、国民は実情を知りません。日本は樺太(現サハリン)の南側を得ましたが、賠償金を取ることができなかった。民衆は不満を爆発させ一部が暴徒化しました。群衆は小村の官舎にも押しかけました。

 小村はこうなることを知っていました。罵声で迎えられ、地位も名誉も失うことを覚悟していたようです。それでも自らの責任を全うしようとした気骨のある明治の人でした。

歴史と風土をまちづくりにいかす

 その偉業をたたえた小村寿太…

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