花王もライオンも せっけんづくりに情熱を燃やした先駆者たちの物語

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上原賢子
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 南蛮貿易で日本にやってきたせっけん。明治時代に国産品の製造が始まります。先駆者たちの歩みを横浜市東京都墨田区でたどりました。

横浜に「日本最初の石鹼工場」

 「日本一かわいい商店街」をかかげる、三吉橋通り商店街(横浜市南区)の南端から東へすぐ。首都高速狩場線の高架の下を流れる中村川沿いに、その記念碑はあった。「日本最初の石鹼(せっけん)工場発祥の地」と刻まれている。1873(明治6)年に工場を開いたのは、幕末から明治を生きた実業家、堤磯右衛門(つつみいそえもん)である。

 中村川を2キロ余り下ると、横浜港に行き着く。磯右衛門について話を聞かせてもらうため、横浜開港資料館を訪ねた。館長の西川武臣さん(68)が、記念碑にも刷られていた、工場の当時の全景図を見せてくれた。「ここに中村川が描かれていますよ」。荷を積んだ手こぎ船も描かれ、せっけんの原材料や商品の運搬に川を利用したとみられる。建物の煙突から立ち上る煙は、製造に火を使っているからだろう。

 磯右衛門は、33(天保4)年、今の横浜市磯子区、武蔵国・磯子村で村役人を務める旧家に生まれた。ペリー艦隊が来航し、59(安政6)年に開港した横浜。「西洋の技術や文化に触れるなかで、せっけんとの出会いがあった」。磯右衛門ののこした文書を研究する西川さんは語る。

 66(慶応2)年、磯右衛門…

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