正社員になったら…派遣切りの通告役に ロスジェネ47歳がみた絶望
もう限界だ。20代最後の年、大阪市の男性(47)はそう思って会社を辞めた。
1975年生まれの「ロストジェネレーション(ロスジェネ)」。専門学校を中退した後、食品会社などをへて、2000年にトラック運転手として貨物運送会社に正社員として就職した。働き手の健康を無視した長時間労働が当たり前になっていた。
退職、その先に待っていたのは
男性は、ロスジェネの苦難を背負ったような人生を歩んでいます。記事の後半では、同年代の作家・雨宮処凛さんが彼の苦境を思いやり、この世代を追い込む自己責任論に疑問を投げかけます。
日中はほとんど運転。会社に戻ると、深夜まで荷物の積み下ろしが続く。駐車場で数時間の仮眠をとり、朝になると再びハンドルを握らされた。「勤務ダイヤを改善してほしい」と要望したが受け入れられず、04年に退職した。
以来、男性の正社員として就職する希望はほとんどかなわなくなる。ハローワークに日参し、職種を問わず働き口を探したが職はなく、派遣とアルバイトで短期の仕事を繰り返すしかなかった。
問題のある企業を離職して非正規の職を転々とするケースは「『ロスジェネあるある』の一つだ」と雨宮さんは指摘する。
社会全体でも細切れ雇用が当たり前になりつつあった。雇用者に占める非正規雇用の割合は増え続け、03年に3割を超えた。翌年には製造業への派遣も解禁された。
それによって、06年、男性は広島県の自動車関連工場に派遣された。
リーマン・ショック 「派遣切り」通告する側に
製造ラインでの働きぶりが認められて、しばらくすると派遣元の正社員に引き上げられた。派遣社員約60人の勤務管理を担当した。
08年秋、リーマン・ショックが起きた。
間もなく工場は減産を余儀なくされ、派遣社員は全員が契約を打ち切られた。
いわゆる「派遣切り」だ。ほとんどが工場近くの社員寮で暮らしていたため、契約が終わると寮も出なければならなかった。
当時、こうして職と住まいを同時に失った人があふれ、年末には東京・日比谷公園の年越し派遣村に注目が集まった。
男性は「年越し派遣村のニュースは記憶にない。それどころじゃなかった」と振り返る。同じ年末に岡山県の部品工場に異動になり、派遣社員に一人ずつ派遣切りを通告する役割を任された。
今も忘れられないのは、50代半ばだった派遣社員のことだ。
書面を手渡して約1カ月後の打ち切りを伝えると、表情が消えた。呼びかけてもボーッとしている。翌日、派遣社員は初めて無断で欠勤。電話をかけても、寮の部屋をノックしても応答がない。上司に伝えて部屋に入ってもらった。
後に上司から聞いたのは、予想外の光景だった。
6畳ほどのワンルーム。派遣…
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