コロナ禍の「正しい感染対策」はいったいどこにあったのだろうか?
連載「コロナ禍と出会い直す 磯野真穂の人類学ノート」(第5回)
2021年の年末、私はコロナ感染に関するあるラジオ番組に出演した。
番組の趣旨は、コロナ禍における私たちのこれまでとこれからを考えるというものである。
今回のパンデミックを医療の視点から語りうる識者として、一般向けから専門家向けまで、幅広いメディアで発信を続ける感染症や免疫の専門家3人が私のほかに招かれていた。
記憶に残っているのはだだっ広いスタジオである。通常の会話では考えられないほど、出演者同士の距離はあけられ、さらにそれぞれの間には、天井にまで届きそうなアクリル板が前と左右に立てられていた。
このような状況下で打ち合わせが続く中、1人の出演者から「マスクは着けていたほうがいいですか」という質問が司会者に飛んだ。
私はこの質問に心底驚いてしまった。感染症の素人である制作者側の人間に感染症の専門家がこの質問を投げかけたことに、である。
司会者は若干言葉につまった後、「私たちはマスクをしたまま収録をしますが、外してくださってもかまいません」と返答した。この間、ほか2人の専門家は無言であった。
司会者の言葉を聞いた私は、途中までマスクを外して話していたのだが、周りの出演者が誰一人マスクを外さないのになんとなく居心地の悪さを感じ、収録が始まる前に再びマスクをつけた(番組収録後にTwitterを見たら、私がマスクを外しているタイミングの写真がアップされており、「マスクをつけていないのは磯野さん?」と批判をにおわすコメントが付けられていた)。
収録が終わったあと、この日二つ目の印象に残る発言が、先とは異なるもう1人の専門家からなされた。
「本当はこんなに感染対策する必要はないし、ここまでしていたらマスクをする必要はないですよ」
先の質問と同様に、この発言にも驚いた。そう思っていたのなら、なぜそれをはじまる前に言わなかったのか。ほかの専門家からマスクについての質問が発せられたとき、「外しましょう」となぜ言わなかったのか。
番組に出演した3人の専門家…
- 【視点】
医療専門家が出演する番組ごとに感染対策が異なり、過剰な対策を正す行動を見いだせなかったという磯野さんの現場レポートはとても興味深いと同時に、「マス」に発信するメディアの限界を感じるエピソードでもあります。 この3年私はコロナにも風邪にもかか