阪神も見習ったフロンターレの「地域密着」 横断幕が問いかけた原点
日本スポーツの現在地 第2部④
チームカラーの水色で染まったスタンドに、黒い文字で埋まった白地の横断幕が掲げられた。
「地域密着は後回し」
「事業方針はこのままでいいのか?」
4月5日、川崎市の等々力陸上競技場で行われたJリーグ・ルヴァン杯の試合後だった。J1川崎フロンターレの天野春果・プロモーション部長(52)は語る。「自分たちの甘さやおごりがあったんじゃないかと、真摯(しんし)に受け止めた。上司とか部下とか関係なく、社内みんなで話し合うきっかけになった」
地域密着のモデルケースといえるクラブの一部のサポーターが投げかけた、重い問いかけだった。
川崎フロンターレのホームタウン活動は他競技のクラブからも参考にされるほど注目されてきました。「地域密着」への様々な取り組みで成果を得た一方、クラブが拡大する中で難しい問題も出てきました。
川崎は「プロスポーツ不毛の地」と呼ばれた街に根付き、国内屈指の人気クラブになった。Jリーグ30年の歴史を語る上で、その成功物語は欠かせない。
川崎市は戦後、京浜工業地帯の中核都市として成長した。高度経済成長期は大気汚染が問題に。競馬や競輪の印象も強い街だった。かつて、プロ野球の大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)とロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)が本拠を置いたが、移転。Jリーグ初代王者のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)も、2001年に東京へ去った。
クラブ設立2年目の1997年に天野さんが入社した当時、スタッフは10人に満たなかった。商店街で試合結果や写真を載せた自作の新聞を配って回った時のことが忘れられない。
「なんだおまえ、出て行け」…
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