リストラ進んでも「泣けなくなった」 造船会社長が誓う社員守る経営
神谷毅
市況や為替の激しい変動にさらされるのが海事産業の宿命だ。造船中堅の新来島どっく(愛媛県今治市)も世界経済の荒波にほんろうされ、前身のグループが解体された過去がある。
「俺あの時、泣けなくなっちゃったんだ。それが悲しかった」。今春就任した村上孝信社長(62)に、一番つらかった出来事を聞くと、そう答えた。
入社した1984年、当時は社名を「来島どつく」といった。グループ全体の年間建造量は170隻前後。日本一を誇っていた。
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四方を海に囲まれた日本は、船がなければ食料やエネルギーを輸入できない。毎日の食事にも明かりにも事欠く。愛媛県今治市には造船や船主などの海事産業が集積する。船を支える人たちの物語を追った。
しかし翌年、貿易赤字と財政赤字を抱える米国のドル高を抑えるため、日米欧5カ国によるプラザ合意があり、円高が急激に進んだ。会社は経営危機に陥り、銀行団の支援を受けてリストラが進んだ。
毎月、職場で送別会があった。仕事を教え込んでくれた先輩、仲良くなった同僚が次々に辞めていく。
毎回泣いた。ところがある時、涙を流さなくなっている自分に気づいた。
慣れきってしまったのだ。そ…