娘を置いて死ぬわけには…「お父さんは、君のことが好きだったよ」
伝えたいこと㊦
悪性リンパ腫になり、1年余り前に余命半年、と告げられた加治川健司さん。一人娘、風花さんへのメッセージとしてYouTubeに投稿した動画は、100本を超える。
昨年の春、花見に出かけた時の場面では、風花さんの誕生を待ちわびた頃を懐かしんだ。自由なイメージを象徴して「風」、靖子さんが好きな「花」をあわせて名付けたことを伝えている。
〈お母さんのお腹が破れちゃうんじゃないかと心配になるくらい動きまわってました〉と、幸福な気持ちを反芻(はんすう)した。
昨年7月。風花さんの夏休みを前にした日の動画。父子はかき氷で乾杯をした。
それは1歳2カ月の頃。加治川さんは初めて夏祭りに連れて出かけた日を回想した。風花さんは甚兵衛さんを着せられて、ごきげんだった。その時買ったアンパンマンのキャラクター「ドキンちゃん」のお面は、今も大切にしまっている。
夏祭りか、と父は想像する。年頃になって彼氏ができたら……。男の子と一緒に祭りに出かけた娘の帰りを待ち、「遅いじゃないか」とやきもきする。そんな場面に思いをはせ、そこにいるはずもないのだ、と胸が締め付けられる。
「悲壮感も絶望感もないことに驚いた」
四季折々、盛りだくさんの動画だ。そこに込めた思いはまとめられ、『お父さんは、君のことが好きだったよ。』(扶桑社)というタイトルで今年2月、出版された。編集を担当した樋口淳さん(52)は言う。
「厳しい病状なのに、悲壮感も絶望感もないことに驚きました。家族を思い、ともに過ごす時間が何よりのお薬になっているのだと思います。だから死を見つめても、いまこの時を大切にする、という日々が過ごせているのでしょう。同世代の人間として、自然体で、そういう生き方ができる人の姿を伝えたかった」
結節性リンパ球優位型ホジキンリンパ腫。悪性リンパ腫の一種として、長い病名が告げられたのは、2019年6月のことだった。
その2年ほど前、左足の小指を失う事故に遭い、斜面で踏ん張りが利かなくなっている。林業の仕事は諦め、一念発起して介護職に転じた。
親の介護を視野に、島根から東京へ、家族で移り住むことにした。それからまもなく、風花さんが小学生になった年の夏。首にしこりができた。検査の結果、発症を知る。
抗がん剤治療に臨んだ。一時…
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