埼玉からウクライナに戻った22歳  「私たちを忘れないで」

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川野由起
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 ロシアによる侵攻を受け、日本に避難しながら学ぶウクライナの学生がいる。埼玉県内では、埼玉大学さいたま市桜区)が、昨年10月から協定校の学生を対象に、学費を免除して特例的に受け入れている。約半年間日本で学び、今年3月に帰国したポルタワ国立教育大学のオレナ・ムハさん(22)がインタビューに応じ、「私たちのことを忘れないでほしい」と呼びかけた。

 ――侵攻が始まる前はどんな暮らしでしたか。

 「大学で教育学を学んでおり、卒業したら博士号までとりたいと考えていました。私の住んでいるウクライナ中部のポルタワでは、軍事演習を目にすることはなかったので、侵攻の前日の2月23日まで何が起きるのかよくわかっていませんでした。当日、キーウの友人に連絡をして「本当に戦争になったんだ」と感じました」

避難しながら大学生活

 ――避難生活について教えてください。

 「母と妹と3人で、リュック三つを持ってドイツのポツダムに避難し、父は残りました。最初の3日間は何も食べられず、2週間後には体重が10キロ近く減りました。ドイツに避難したウクライナの子どもが勉強を続けられるよう、英語や数学、音楽や体育などを、現地の教師の通訳をしながら教えていました」

 「母と妹はウクライナに戻ることを決めましたが、私は自分には安全な場所で集中する時間が必要だと考えました。ドイツに約半年いた後、協定校で特別枠を設けてもらい、日本へ留学できたことは、少なくとも半年先まで未来が見えるという意味で安心しました。何よりも感謝しているのは、埼玉大では避難民としてというよりも、他の学生と全く同じように接してもらえたことです。その点がドイツとは全く違う経験でした」

 ――日本で特に印象的だったことは何ですか。

 「子どもと接することが好きで、日本の子どもと交流するプログラムに参加したことです。その中で、子どもが『ウクライナの子どもの生活は大丈夫なのか』と聞いてくれました。子どもが他国の子どもに心を寄せてくれたことに非常に感動したのを、今でもよく覚えています」

 「日本の学生たちと、浅草や…

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