グラスに再現した蜃気楼 漆職人が技法を駆使して作り出した「宇宙」

平子義紀
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 手に取ったグラスをのぞき込むと、そこに宇宙があった。サクラの花びらが側面に映り、黄金の輝きも広がる。水を入れると、キラキラと新しい模様が現れ、見えていた模様が消えてしまう。見る角度によっても色彩が変わる。

 名前を「蜃気楼(しんきろう)グラス」という。光の屈折を使い、蜃気楼をグラスの中に再現した。

 「塗師(ぬし)」と呼ばれる漆塗り職人の辻悟さん(45)が制作した。蜃気楼の見える街・富山県魚津市で「工房ヤマセン辻佛檀(ぶつだん)」を営む。様々な漆細工の技法をガラスの表面に使って、作りだした。

 「漆は木に塗ると、木目に染みこんではがれなくなる。でもガラスは表面がつるつるしていて浸透せず、すぐはがれてしまいます」

 「漆とガラスで、何かできないですか」

 きっかけは市内の飲食店の知り合いの一言だった。試行錯誤が始まった。

 ガラスに定着させるため、漆とつなぐ材料を探し、塗り方や順番、乾燥時間などを何度も試した。いいなと思っても品質が伴わず、試作品は500以上。「今では、液体以外になら何でも塗れます。一時は特許も考えたけれど、企業秘密です」と笑う。

 もう一つ課題があった。

 木に塗る漆は表面で表現する。一方、グラスは内側から見るので細工を内部に閉じ込めて作る。ガラスへの反射も想定した全く新しい表現法を考えた。金箔(きんぱく)がなかなか真円に見えず、貼り方にも工夫がいった。

 商品にできたのが2014年。「魚津猪口(ちょこ)っと物語」というお猪口だった。金箔は魚津ゆかりで、かつての松倉金山をイメージした。魚津漆器の文化も盛り込む。

 魚津は実は漆器産地だ。ブナ材やトチ材が多く採れたことから、室町時代末期から椀(わん)や膳を作っていた。陶器に押される時代もあったが、大正時代には、より高さがある「一寸高宗和膳(そうわぜん)」が考案され、大ヒット。大正12(1923)年には漆器関連業者が市内に306軒あったという。

 辻佛檀は大正2年には開業していた記録が残る。4代目の悟さんは高校までサッカーに明け暮れ、大学は経済学部で就職活動をしたが、心が動かなかった。

 18歳から塗り一筋の父、浩さん(71)を「かっこいい」と思い、手伝いたいと言ったこともあったが、「使いものにならないので無理だ」と受けてもらえなかった。「跡を継げとは一度も言われていない」そうだ。

 そこで、石川県立輪島漆芸技術研修所を受けた。周りは芸大出身者や家業の跡取りばかり。「絵が描けないので技術で得点できなかった。面接でやる気を買われた」と悟さん。

 研修生として5年通い、最後の年は後に人間国宝になる漆芸家、小森邦衛さんらから直接手ほどきを受け、伝統工芸の研鑽(けんさん)を積んだ。

 魚津で今、漆器を扱うのは悟さんの店を含め2軒だけ。辻佛檀は丸太から製材して彫刻を施し、漆を塗って金箔も貼る。金具製造以外は何でもこなす。仏壇仏具や工芸品の修復もする。

 弟の亮さん(38)は職芸学院(富山市)で宮大工の修業を2年。続いて木彫刻で有名な富山県南砺市の「井波彫刻」を5年学んだ。金箔を貼って50年以上の伯母も加わる。

 漆塗りのグラスは、ふるさと納税の返礼品でも人気だ。蜃気楼シリーズ以外のグラスにも手を広げ、記念品など特注にも応じる。インターネットの時代となり、仏壇や修復の注文も全国からやってくる。

 悟さんは生涯学習の講座や小学校でも漆塗りを教える。魚津漆器に触れあう機会を増やし、伝統工芸の文化を守ろうと奔走する。

 「多くの仏壇がスプレーやプリントを使って製作されています。でも、一人でも多くの方に伝統工芸の文化と歴史、素晴らしさを知ってほしい。それが活動の源泉です」(平子義紀)

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