国葬80年 なぜ、山本五十六は「戦えるのは1年まで」と言ったのか
牧野愛博
山本五十六連合艦隊司令長官の国葬から、6月5日で80年になります。山本は早くから航空戦力に注目するなど優秀な戦術家であり、同時に対米戦争にも反対した人物として知られています。3月に『山本五十六 アメリカの敵となった男』(中公選書)を発表した防衛大学校の相澤淳教授は、山本の生涯は現在の安全保障情勢を考える一助にもなると語ります。
――山本五十六は1941年12月の真珠湾攻撃で、初めて大規模に海上航空戦力を投入した人物として知られています。
山本については、対米協調論、戦争反対論で有名ですが、海軍士官としての彼の生涯を見ると、対米戦争の際にどう対応するべきかを常に考えていたという軍人像も浮かび上がってきます。海軍航空の育成に力を入れたのも、対米作戦を考えていたからです。
なぜ、山本は「大規模な海上航空戦力の投入」にたどり着いたのか
山本は30年のロンドン海軍…
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