よみがえった足尾銅山のホルモン 60年愛された味、受け継ぐ支配人
よみがえった「足尾の味」が、じわじわと人気を広げている。60年にわたり銅山の労働者たちに愛され、4年前に閉店した「ホルモン末広」の定番料理を、栃木県日光市足尾町の国民宿舎かじか荘が再現した。閉山から50年。足尾ゆかりの人々が往時のにぎわいに思いをはせている。
「もう食べられないと思っていた」「懐かしい」
宿泊客や日帰り入浴に訪れる人たちが買って帰る。北海道など県外からも注文が舞い込む。売り出しから1年で約1千食が売れた。かじか荘支配人の小野崎一さん(52)は話す。「足尾出身の方も評判を聞きつけ、買いに来られます」
吉田類さんも訪れた店
「ホルモン末広」は1959(昭和34)年、旧国鉄足尾線の通洞駅近くで故戸川ヨシイさんが開店した。娘の田村郁代さん(69)=横浜市=は思い出す。
「足尾に移り住んだ母は飲食店経営の経験がなく、最初は客が入りませんでした。それでも銅山社宅に売りに行くなどして、少しずつ常連客を増やしていきました。裏表のない気丈な人でしたよ」
どの品も1人前30円(閉店前は300円)という安さが支持された。そして、笑顔を絶やさぬヨシイさんの人柄と、田舎のおばあちゃんの家に帰ってきたような店の雰囲気が、銅山で汗を流した労働者や町の人たちを引き寄せた。
2019年11月、開店60周年のお祝いの直後、ヨシイさんは病に倒れ、年末に95歳で息を引き取った。酒場詩人の吉田類さんも訪れるなど全国区の人気だったホルモン末広は、その歴史に幕を閉じた。
銅山御用写真師のひ孫で、足尾に生まれ育った小野崎さんも、軒先にともる赤ちょうちんを懐かしむ。「親子三代で世話になり、仕事関係の仲間たちとも通いました。ヨシイさんと話していると、安心するんですよ。まさに足尾の食文化だったと思います」
あの忘れられない味が、このまま消えていくのは寂しい。一昨年、小野崎さんは、田村さんにタレの材料や調合の割合を教えて欲しい、と頼み込んだ。
店を手伝ったこともある田村さんは、母ヨシイさんからタレの作り方を受け継いでいた。「足尾の方たちには本当にお世話になった。少しでも貢献できるのなら」。タレの調合法を伝授し、ホルモンの仕入れ先も教えた。「ちょっとでも母のことを思い出してもらえればうれしい」
昨年2月、「足尾の味ホルモン」として商品化された。豚の大腸「シロ」と、こめかみからほおにかけた「カシラ」の2種。どちらも200グラムを袋詰めして冷凍した。いずれも900円(税込み)。ミソだれは別容器に入っている。
小野崎さんは「ホルモン末広では様々な部位が味わえた。まずは看板の2品で始めたが、ゆくゆくは種類を増やしたい。過疎化が進む町を盛り上げたい」と話している。(中村尚徳)
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