ロスジェネ世代の地方議員が数多く誕生した2007年の統一地方選。ベネッセコーポレーションを辞め、酒造会社を経て地元・長崎県大村市に戻った村崎浩史さん(43)もその年、同市議選に初当選した。
「地元のためになりたい」という一心で4期16年を務めてきた。当時は先端事例だった議会のネット中継や、議会版タウンミーティングの開催を実現するなどし、議会改革を推進した。コロナ禍では、県外に出た学生らがバイトもできず、実家にも帰れなくなっている状況をSNSを通じて把握し、地元産品を送り届ける取り組みを提言する。実際に4度、県外学生らに野菜や肉などの食料品を届けることができた。
議員としてどうしたら政策を実現できるのか、コツのようなものが見えてきたのは3期目も終わる頃だったという。15年11月、三つ年上の当選同期が市長になった。一方の自分は議員3期目だが「会派のワン・オブ・ゼム」。一般質問で政策を提言しても、市長から「すばらしい提案ですね」などと言われて終わり。「ひとりでやみくもに動いても相手にされない。メンタルに来ました」
最大会派飛び出し、重鎮とも対等に
たどりついたのは「政治は1…