オーストラリア、国防の教訓「第二の真珠湾」 80年へて転換へ

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シンガポール=西村宏治
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 旅行先、留学先として人気のオーストラリアは、広い大地、豊かな自然が人を引きつける。

 でもそんな国が約80年前に、1901年の連邦成立以来最大とされる外国からの攻撃を受けたことは、どれほど知られているだろうか。

 攻撃したのは、ほかならぬ日本だ。

 オーストラリア北部、ティモール海に面したダーウィンにある航空博物館に、1機の朽ちた「零戦」が展示されている。

 零式艦上戦闘機21型。14気筒の星形エンジンは940馬力、最高時速は328マイル(約528キロ)。「俊敏で戦闘能力に優れ、第2次世界大戦初期には連合国側は非常に苦しめられたのです」。博物館運営委員会のケン・ライ会長(55)が言った。

 1942年2月19日、前年に真珠湾攻撃を担った南雲忠一中将率いる旧海軍第1航空艦隊は、爆撃機や戦闘機からなる攻撃隊を送り出した。「第二の真珠湾」とも言われるダーウィン空爆だ。

「史上唯一の空爆」に加わった零戦

 展示の説明によれば、この日の攻撃は2度にわたり、計260機以上が出撃。252人の軍人と一般市民が死亡した。

 博物館の零戦は、このときに攻撃に加わった。燃料タンクを撃たれて離島に不時着した。連合国側が捕らえた初の零戦だった。高い性能の秘密を調べるために損傷の少なかった後部は切り取られたと伝わる。

 放置されていた前部は、1970年代に地元の歴史家たちが引き取り、博物館に移したのだという。

 ダーウィンヘの空襲は43年11月まで、64回に及んだ。豪州本土への、史上唯一の空爆だった。

 ライさんが言う。「日本はいまの豪州の大事な友好国で、敵対感情はありません。でも、豪州でも若い人には、こうした戦争があったことすら知らない人もいます。歴史を乗り越えて今があるということは、もっと知られてほしいなと思いますね」

 日本の攻撃は、豪州の国防を考えるうえで避けて通れない歴史でもあるという。

 「頭の中には、ふたつの日本…

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