お手本「甲府モデル」の天井 「これから必要」という元社長の結論

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塩谷耕吾
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日本スポーツの現在地 第2部⑤

 Jリーグサガン鳥栖の井川幸広社長(当時)が、甲府の関係者に握手を求めた。

 「J1に上がってくれて、大変励みになっております」

 2006年シーズンの開幕直前、東京・六本木であったJリーグのイベントでのことだった。

 甲府は05年に奇跡のJ1昇格を成し遂げた。当時J2だった鳥栖も含めて、大企業の後ろ盾のない地方クラブにとっての希望の星となった。

 山梨県のメディアグループの役員だった海野一幸が甲府の社長に就任したのは01年だった。

 「周りから葬儀委員長と言われた。クラブを整理する役割、という意味でね」

 当時、クラブは2年連続J2最下位、平均観客数は約1850人、1億円以上の債務超過があり、破綻(はたん)の危機にあった。

 お金がないから強化が進まず、弱いから観客、スポンサーが集まらない。そして赤字が膨らむ。

 「負のスパイラルを抜け出すにはどうしたらいいか。弱くても、応援してもらう方法を考えた」

 解の一つが「社会貢献活動」だった。

 選手が、児童養護施設や高齢者施設、病院に慰問に訪れた。幼稚園、小中学校でサッカー教室を開いた。

 年間100件の社会貢献活動をすると、チームを身近に感じてくれた老若男女がスタジアムに応援に来てくれるようになる。

 地元企業へ支援を求める際の殺し文句もできた。

 「うちはサッカーだけをやっているクラブではありません。社会貢献活動を支援してほしい」

 ホームの小瀬陸上競技場(JITリサイクルインクスタジアム)の陸上トラックには、所狭しとスポンサーの看板が並んだ。走り幅跳びの砂場のカバーシート、ボールボーイのユニホーム、ベンチの屋根、選手を運ぶ担架にもスポンサー名が入る。大小のスポンサーは約300を数えた。

 この年は3年連続最下位となるも、観客動員は平均3千人を超え、初の単年黒字も達成した。

 02年に7位、03年には5位と成績も上がり、05年にはリーグ3位。柏とのJ1、J2入れ替え戦を勝ち抜き、J1昇格を決めた。当時の甲府の年間予算は6億7千万円で、柏の約6分の1。だからこそ“奇跡”と言われた。

 その後、海野は経営手法を他のクラブに伝えた。

 「隠す必要はない。日本中にクラブが広がることがJリーグの百年構想なのだから」

 徳島、鳥栖、岡山、愛媛、松本、町田、岐阜、北九州――。いくつもの地方クラブに招かれた。

 社会貢献活動を軸とした身の丈経営は「甲府モデル」と言われ、地方クラブのお手本となった。

 16年には韓国Kリーグ2部への加盟を控えた安山グリナーズのフロントスタッフが甲府に、研修に来た。安山はその後、社会貢献活動をクラブ運営の柱として活動し、韓国のプロスポーツ大賞などを受賞。その流れはKリーグ全クラブにまで広がったという。

 甲府は07年にJ2に降格が決まったが、そのあと2度、J1に昇格した。17年の降格決定後はJ2で戦うが、22年10月に天皇杯を初めて制した。

 「最後に最高のはなむけまでもらい、こんな幸せな男はいない」

 海野は23年1月、クラブ経営から退いた。

    ◇

 「何も変わらないっすよ、甲府はね」

 マネジャーの鶴田好樹が苦笑…

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    中川文如
    (朝日新聞スポーツ部次長)
    2023年6月3日14時0分 投稿
    【視点】

    Jクラブの名物社長として、業界で知らない人はいないんじゃないかってくらい有名な海野一幸さんの言葉が重苦しく響きます。「これからのクラブ経営は、大きな責任企業が必要。22年間、クラブを運営してきた私の結論だ」 「大きな責任企業が必要」って結

    …続きを読む
  • commentatorHeader
    中小路徹
    (朝日新聞編集委員=スポーツと社会)
    2023年6月3日18時15分 投稿
    【視点】

    Jリーグはいろいろな立ち位置のクラブがあっていいと思っています。  必ずしもトップレベル目指す必要はなく、地域に根付くことを優先的に考え、身の丈に合ったレベルで上昇を図っていくクラブや、育成に力を入れ、選手の供給源となっていくクラブなども

    …続きを読む