元タレントの上岡龍太郎さん死去 「ナイトスクープ」初代局長
辛口の社会風刺と流暢(りゅうちょう)な語り口でテレビ番組の司会者などとして活躍した元タレントの上岡龍太郎(かみおか・りゅうたろう、本名小林龍太郎〈こばやし・りゅうたろう〉)さんが5月19日、肺がんと間質性肺炎のため死去した。81歳だった。葬儀は近親者で営んだ。
1942年、京都市生まれ。横山ノックさんの誘いで60年に横山パンチを名乗り、横山フックさんを加えた3人で「漫画トリオ」を結成した。「パンパカパーン、今週のハイライト」が流行語となり、時事ネタのトリオ漫才で一世を風靡(ふうび)した。
リーダーのノックさんが68年に参院選に立候補したのを機に、上岡龍太郎の名で活動の幅を広げた。批判精神のにじむ持ち前のトークで、テレビやラジオの司会や漫談家として活躍。89年に上方お笑い大賞を受賞した。
落語家の笑福亭鶴瓶さんとしゃべったテレビ番組「鶴瓶・上岡パペポTV」や、「探偵!ナイトスクープ」の初代局長としてお茶の間でおなじみとなりつつ、講談などのひとり話芸にも熱心に取り組んだ。
人気全盛のさなか、「実力の限界を知るに至った」と引退を表明。芸能生活40周年の節目となる2000年4月、大阪松竹座での公演を最後に、芸能界の表舞台から身を引いた。
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桂ざこばさん「いつもカッコ良く自然体」
情報番組や舞台でも共演していた落語家の桂ざこばさんは、「とてもショックです。上岡のお兄さんは大好きな方でしたが、皆でワーワー言ってても、どこかでこれ以上入ってはいけないように、なぜか僕が勝手に感じていました。ご本人はいつもカッコ良く自然体で、そんなことは考えてなかったでしょうね。また寂しくなります」とコメントを寄せた。
和田アキ子さん「少年のような笑顔、忘れられない」
上岡さん司会のテレビ番組「ラブアタック!」にレギュラー出演していた和田アキ子さんは「胸がいっぱいで言葉になりません。上岡さんには(当時、和田アキ子さんの唯一のレギュラー番組だった)『ラブアタック!』で一緒にレギュラーをやらせていただき、本当にお世話になりましたし、本当に可愛がって頂きました。会う度に『お前は偉いな! 頑張ってるな!』といつも褒めてくれました。それが物凄(ものすご)く嬉(うれ)しくて。収録後も、ずっと一緒にワイワイ遊んでいただきました。毎週大阪に行って、上岡さんとノックさんに会うのが楽しみで仕方がなかったです。私の誕生日には毎年お祝いに来ていただき、いつも悪ふざけして、少年のようにはしゃいで笑っている笑顔が忘れられません。本当に残念です。悲しくて仕方ありません。心からご冥福をお祈りいたします」とコメントを発表した。
キダ・タローさん「実に人の善い笑顔」
「探偵!ナイトスクープ」の共演者からも、続々と追悼の声が寄せられた。作曲家のキダ・タローさんは「上岡さんは常に『上岡龍太郎』という頑固で冷静な鎧(よろい)を纏(まと)い、内心を見せない男でした。が、ほんの少したまにポロリと鎧の下を見せることがありました。東京進出のほんの初期の頃、テレビ局でご一緒しました。私が『上岡さん東京嫌いやったんちゃうのん?』と聞くとニタ~っと実に人の善い笑顔を見せました。ご冥福を心よりお祈りいたします」と悼んだ。
間寛平さん「ゴール地点にそっと出迎えに」
お笑いタレントの間寛平さんは「上岡さんにはすごくかわいがっていただいたので、訃報(ふほう)を聞いてショックでした。個人的には38年前に初めてフルマラソンを走ったホノルルマラソンでタイムが3時間13分57秒やったんですけど、上岡さんからお祝いをいただき、封筒をのぞいたら3万1357円入ってました。アースマラソンではゴール地点のNGKにそっと出迎えに来てくれていました。本当に残念です」とコメントした。
桂小枝さん「パーフェクトな人で死なないと……」
落語家の桂小枝さんも「信じられません。上岡さんはパーフェクトな人で死なないと思ってました。怒りの上岡と言われましたがボクは怒られた事がありません。何でも自由にやらせて頂きました。今の桂小枝があるのは上岡さんのお陰です。上岡さんが引退される前に弱ってからでは遅いので形見分けを下さいってお願いすると楽屋暖簾(のれん)を下さいました。中に手紙が入ってました。上岡さん、本当に有(あ)り難(がと)うございました。これからも見守って下さい」と惜しんだ。
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