JR広島駅の改札から、直結のビル1階へ向かう。ソースの香りが漂う。
福ちゃん、みっちゃん、いっちゃん、麗ちゃん。お好み焼き屋が4軒並ぶ。
「夫を亡くし、家計を支える女性が営んでいたから『ちゃん』がつく、という言説がありますが、これは作り話だと考えられます」
昨年は301枚のお好み焼きを食べ、一般財団法人「お好み焼アカデミー」の理事も務める広島経済大の細井謙一教授は言う。
「原爆は性別も年齢も関係なく、多くの市民の命を奪いました。食べるものもなかった時代に、米軍経由で手に入った小麦粉をクレープ状の生地にして、ちくわや紅ショウガ、ネギを包んでいました」
いまでは、イカやエビ、カキが入ることもある。「豊かになるにつれ、具も多くなり、包めなくなりました。広島の戦後復興の歩みと重なります。がんばってここまできたことを伝えたいという思いが、美談の創作につながったのかもしれません」
駅前の通りを南西に進むと、左右に緑が広がる「平和大通り」に突き当たる。案内には、こう記される。
《被爆直後に「75年間は草木も生えない」とも言われた広島の復興と平和の象徴です》
通りだけはない。広島市には「平和」と名のつく企業や店舗が多くある。「やっぱり、広島だからじゃないかなあ」。創業半世紀の「平和広告」で働く島井道好さん(68)は話す。
「平和って、なんだろね。みんながすこやかに生活できる環境のことかなあ。争いごとがあっても、話し合って解決できたらいいけど、それが難しいときもあるからなあ」
平和大通りを西へ、西へ。1キロ歩けば、「平和大橋」。ここを渡れば、平和記念公園に着く。平和の門があり、平和の塔があり、平和記念資料館がある。
この地に、平和とはほど遠い戦時下のウクライナから、ゼレンスキー大統領がやってきた。5月20日午後3時半から、21日午後9時半まで、30時間の滞在。
その目に、広島はどう映ったのだろうか。
記事後半では、今回のサミットに関する専門家の評価のほか、ゼレンスキー氏が会見で語った「影」と広島、さらには「記憶」について伝えます。
ゼレンスキー氏がやってきたの…