「思い出すのはつらそうでした」はだしのゲン50年、筆者の妻が語る

核といのちを考える

興野優平
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 原爆が投下された広島で力強く生きる少年たちを描く漫画「はだしのゲン」の連載開始50年を記念して、アニメ映画版の上映会が4日、広島市西区の横川シネマであった。作者の故・中沢啓治さんの妻、ミサヨさん(80)も参加。執筆中の啓治さんについて「当時を思い出すのはつらそうでした」と語った。

 連載は「週刊少年ジャンプ」の1973年6月4日号から始まった。上映されたアニメ「はだしのゲン」は83年の制作。主人公ゲンの生い立ちから被爆、8月6日に生まれた妹の死までを描く。脚本は啓治さん自身が手がけた。

 上映に先立ち、ミサヨさんがあいさつ。自分の被爆体験をもとに「ゲン」を14年間執筆した啓治さんについて、「ゲンと共に漫画家人生を歩んできた。自分と同じ思いを誰にもさせてはいけないと強く思っていた」と振り返った。

 啓治さんは物語の展開を徹底して考え抜いて、納得してからでなければ原稿にしなかったという。「当時を思い出すのはつらそうでした。戦争のない平和な世界こそが(啓治さんの)願いであり、核兵器廃絶にもつながると考えています」と話した。

 この日は、啓治さんが広島を巡りながら、被爆体験を証言したドキュメンタリー映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」も上映された。(興野優平)

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