吉野ケ里遺跡の石棺、中から赤い顔料 「クニ」のリーダーの墓か
佐賀県文化課は5日、弥生時代の大環濠(かんごう)集落、吉野ケ里遺跡(佐賀県吉野ケ里町、神埼市)で新たに見つかった石棺墓の蓋(ふた)を開く作業を行い、内部に赤色顔料が残っていることなどを確認した。邪馬台国時代と重なる弥生後期、「魏志倭人伝」が記す「クニ」を治めた首長の墓の可能性があり、同課は今後、副葬品の有無などを調べる。
発掘現場は、調査の手がつけられていなかった「謎のエリア」と呼ばれる地区。県は昨年、10年ぶりに同遺跡の調査を始め、今年4月に石棺墓を発見。墓の穴は縦約3・2メートル、幅約1・7メートル。規模や周囲と隔絶された立地、単独での埋葬などから、これまで知られていなかった2世紀後半~3世紀中ごろの有力者の墓とみられる。
この日は報道陣が見守るなか、石棺を覆う石蓋3枚を重機で撤去。内部は土砂で埋まっていたが、一部に赤い顔料や目張りのための粘土などを確認できた。石蓋2枚には外側の表面に「×」「キ」などの線がびっしりと刻まれていたが、残る1枚には遺体を収めた内側の面に線が刻まれていることもわかった。
白木原宜・県文化財保護・活用室長は「副葬品に期待している」と語り、慎重に調査を続ける予定だ。
吉野ケ里では集落が巨大化した弥生後期の墓が少なく、有力者の墓も見つからないことが謎とされてきた。石棺墓は過去18基出土しているが、副葬品はない。(三ツ木勝巳、編集委員・中村俊介)
- 【視点】
わが奈良県の「邪馬台国論争」でのライバルである九州・筑後平野/佐賀平野。その一角にある吉野ケ里遺跡で、注目の調査が進んでいます。中国の歴史書「魏志倭人伝」に記述された「邪馬台国」と時期の重なる弥生時代後期の立派なお墓が新たに見つかり、発掘の
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