「びっくり」と書家 首相を2度務めた若槻礼次郎、数え7歳の達筆
大正末期~昭和初期、2度にわたって首相を務めた若槻礼次郎(1866~1949)が数えの7歳で書いたという書が、若槻の出身地、松江市の松江歴史館で展示されている。伸びやかな書は「プロの字に近い。驚くほかない」と専門家から絶賛する声が上がる。
歴史館によれば、この書が一般公開されるのは初めてで、若槻の幼年期の書は珍しいという。松江では当時、城下の寺子屋の門下生たちが地元の白潟(しらかた)天満宮の祭礼で競って書を披露する習慣があったといわれる。若槻は1872(明治5)年から翌年4月まで、現在の小学校に入学するまでの間、寺子屋に通って習字を学んだと伝えられる。
これらを裏付けるような記述が、書を収めている木箱のふたの裏に残っている。この書を記念に保存することが記され、1919(大正8)年8月31日の日付と若槻の署名もある。
今回公開している書は、中国の古典詩をまとめた楽府(がふ)詩集の「萬物(ばんぶつ)生光輝(萬物光輝を生ず)」という言葉。「ありとあらゆるものは命の輝きを自ら放つ」との意味だ。
松江市は2018年、若槻家から数百点の遺品を寄贈、寄託された。調査や研究を経て、今回公開にこぎつけた。新庄正典・主任学芸員は「若槻が幼年期から学習していたことがわかる立派な書だ」と話している。
展示は7月30日まで(月曜休館)。無料。問い合わせは松江歴史館(0852・32・1607)へ。(大村治郎)
展示の書の出来栄えはいかに。記事後半では書家の一人がコメントしています。書を収めた木箱に若槻がつづったことも、現代語訳と合わせて紹介します。
■若槻礼次郎とは…