「私もマイノリティー」と言った首相 ずるい言葉を越えて行くには
今年2月、当時の首相秘書官が「隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」などの性的少数者に対する差別発言をして更迭された。
このとき、岸田文雄首相は国会で「私自身もニューヨークで小学校時代、マイノリティーとして過ごした」と述べ、マイノリティーに共感する姿勢を示した。
しかしその後、自民党のLGBT理解増進法案は文言が修正され、「骨抜き」になったことが指摘されている。
「あなたを閉じこめる『ずるい言葉』」の著書がある社会学者・森山至貴さんは、一連の経緯をどう見たのか。
――元首相秘書官による差別発言の直後、岸田首相は「私もマイノリティーだった」と国会で発言しました。
「ずるい言葉だと思います。自分が差別された経験があり、そのことを足がかりに、他の人が受けている差別に心を寄せるということはあっていいと思うんです。学術用語では『マイノリティー共感』といいます」
「ただ、岸田首相の場合は、自分がマイノリティーになった経験があることをもって、『私は他人に心を寄せることのできる人間です』とアピールし、自分を正当化しようとした。そもそも、実際に差別を受けているLGBTQの人々が、その言葉を聞いて安心できるかについて気にかけていたでしょうか。むしろ保身や正当化のために、LGBTQ差別をだしに使っていたと思います。自分はいい人だ、誠実な人間だと見せるために、差別を利用していました」
――共感はあってもいいけれど、それはずるい行為にもなりえる。境界はどこにあるのでしょうか。
共感とずるい行為の違い
「共感だけでは足りないので…
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- 【視点】
インタビューの中に出てくる「インターセクショナリティー」という概念は、性的少数者に対する差別問題に取り組み、自らもヘイトクライムの被害者となった、仲岡しゅん弁護士が5日の会見で、〝事件の根底にあるもの〟について述べた内容と通底している。
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