上方歌舞伎いつまでも 体現する中村鴈治郎と片岡愛之助の思い
向井大輔
今年開場100年を迎えた大阪松竹座。大阪・道頓堀に立つこの文化発信の拠点は、1997年に映画の封切館から舞台専門の劇場に生まれ変わった。その時に掲げたのが「上方歌舞伎の復活」だ。それを体現してきた歌舞伎俳優の中村鴈治郎と片岡愛之助に思いを聞いた。(向井大輔)
大阪松竹座が出発点 中村鴈治郎
上方歌舞伎の大名跡、鴈治郎を四代目として襲名し、2015年1月、大阪松竹座の公演で披露した。ほとんどの歌舞伎俳優が東京・歌舞伎座から始める襲名披露公演。大阪松竹座を出発点にしたのは鴈治郎だけだ。「どうしても大阪から始めたい」との思いからだった。
夏の大阪の風物詩となった船乗り込みも、この時は公演前の12月末に。真冬に行われたのも初めてのことで、いかに上方で大切な名跡かを物語る。
あれから早いもので8年が経った。「大阪のみなさんは『がんじろうさん』じゃなくて、『がんじろはん』と呼んでくれる。それがうれしくてね」と喜ぶ。
大阪松竹座は、1997年のこけら落とし公演から出演し、芸を磨いてきた「ホーム」だ。
片岡愛之助さんは、故・片岡秀太郎さんが見せた芸の神髄について語ります。
数え切れない出演の中でも「…
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