「忘れないために」 無差別殺傷事件から15年 秋葉原の街を歩く
東京・秋葉原の歩行者天国で、トラックが突っ込んだ後に男が通行人にナイフで切りつけ、7人が亡くなり、10人がけがを負った無差別殺傷事件は、8日で発生から15年となった。事件で踏みにじられた街は変わりつつあるが、惨劇の記憶は残る。節目の日に街を歩き、訪れた人たちに話を聞いた。
午前7時 現場となった交差点には慰霊所が設置され、花やお茶が供えられている。近くに住む松島直樹さん(73)は、日課のランニング中に手を合わせた。「遊びに来ただけなのに、若い人がたくさん亡くなった。今も無差別殺傷事件があり、おかしい世の中になったと思う」
午前7時20分 現場近くの万世橋署の嶼田道俊署長が献花し、手を合わせた。現場の交差点を見ながら、「二度とこういう犯罪を起こさせない」と語った。事件翌年の2009年に被害者支援室の係長になり、この事件の遺族支援を行った。その経験から昨年10月に署長になってからは、事件について知らない若い警察官に概要を伝えている。
今週月曜日の朝の訓示でも、木曜日に事件発生から15年を迎えることに触れ「秋葉原は人が多く訪れるので、1番狙われている街だ。いつあのような事件が発生してもおかしくない。常日頃から、警戒してパトロールなどにあたってくれ」と呼びかけたという。
午前7時45分 現場近くの会社に勤める水野駿平さん(32)は通勤途中に現場を通りかかり、手を合わせた。当時は高校生。事件翌日の朝刊に載った、血まみれのけが人を心肺蘇生する救急隊員の写真が忘れられないという。「会社の後輩でも事件を知らない世代が増えてきた。僕が手を合わせても意味はないかもしれないけど、立ち止まらずにはいられなかった」と話した。
午前8時 事件現場に供えられた花を見ていた50代会社員男性は、「2カ月前から秋葉原で勤務しているが、事件については完全に忘れていた。花を見て、ああ、ここであんな悲惨な事件が起きていたんだと知った。家に帰ったら家族にも伝えて、人通りが多いところでは緊張感をもって行動したい」と話した。
午前8時15分 事件当時も今も、交差点近くの家電量販店で働いている布施田峰男さん(79)は当時、道に何人もの人が血まみれで倒れ、多数の救急車が並んでいた光景を覚えている。「怖くて見られなくて、ショックだったことは覚えているのに、年のせいかだんだん記憶が薄れてきた。でも毎年ここに供えられる花を見るたびに、また一年が経ったなと思う」と話した。
午前8時30分 静岡県沼津市の会社員、登玉慎也さん(30)は6年前から現場に花を手向けに来ている。事件当時は高校1年生。大学生になってから秋葉原に遊びに来ることが多くなり、町の思い出が増え、事件を忘れたくないと現場に足を運ぶようになった。花の数は年々少なくなっているという。「今年は誰も来ていなかったらどうしようと不安な思いで来たけど、花があってよかった。忘れていないのは自分だけじゃないと思えた」
犠牲者の知人や後輩の姿も
午前8時45分 「つらかった…