旧ソ連の被爆国、カザフから広島へ 核実験の悲惨さ伝える小説を紹介

編集委員・副島英樹
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 旧ソ連諸国で唯一、核兵器禁止条約に批准している中央アジアカザフスタンから、反核運動に携わる人たちの代表団が来日し、広島の市民と交流した。その中で、米ソ冷戦期にカザフスタンにあったセミパラチンスク核実験場周辺での核被害をテーマにした一冊の本、小説「悲劇と運命」の日本語版が紹介された。

 セミパラチンスクでは1949年から40年間で450回を超える核実験が繰り返され、120万人が影響を受けたとされる。

 4月28日に広島市中区広島平和記念資料館で開かれた交流会には、被曝(ひばく)の影響で両腕のない状態で生まれた画家のカリプベク・クユコフさん(54)と、小説「悲劇と運命」の著者であるサウレ・ドスジャンさん(63)が参加し、思いを語った。

 クユコフさんは核実験場から100キロ離れた村で生まれ、両親が核実験で被曝していた。今回、核廃絶への願いを込めた絵画14点も展示。クユコフさんはスピーチで「核兵器は人類の自殺です。全世界の国が一歩一歩、核なき世界に向かわなければ」と訴えた。

 「悲劇と運命」の表紙には、2016年にクユコフさんが当時のオバマ米大統領に寄贈した作品「爆発」が提供されている。初めて広島を訪れた著者のドスジャンさんは「日本とカザフスタンは悲劇を共有している。この本は広島・長崎の悲劇についても描かれている。日本の人にはこの本の意味をよく理解してもらえると思う」と述べた。

 ドスジャンさんによると、ソ連時代は情報統制で核実験の情報は入らなかったが、核被害を受けた市民と会うことで資料を集め、それをもとに2017年にカザフ語で「悲劇と運命」を発表。すでにロシア語、英語、中国語、トルコ語に翻訳されている。日本語版は426ページある。

 核実験場の正式な閉鎖は1991年8月のカザフスタン大統領令に基づくが、89年には閉鎖の決定はなされていた。ドスジャンさんは「核実験場を閉鎖に追い込んだのは、ネバダ・セミパラチンスク運動という反核市民運動だった」と強調した。本の中では、核実験場閉鎖で「カザフスタンは人道と平和を支持する国として核兵器を放棄した」と記している。(編集委員・副島英樹)

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