家族も客も従業員も亡くしたあの日 それでも温泉守り続けた15年間
忘れないでほしい。でも、忘れてしまいたい時もある。
宮城県栗原市の栗駒山の登山口で日帰りの「駒の湯温泉」を営む菅原昭夫さん(67)は、14日で発生から15年となる岩手・宮城内陸地震のことを思うと、いまも心境は複雑だ。「被災前に戻してもらいたい。皆が助かるチャンスはなかったのか」。自らに投げ続けている。
温泉旅館だった施設は土石流に襲われて宿泊客や従業員、母と兄の計7人が犠牲になった。菅原さんも胸と足の骨を折り、かろうじて一命をとりとめた。
温泉の再開に向けて立ち上がれたのは被災の1年後。最後まで行方不明だった従業員2人の遺体が見つかった。その日は亡き母の誕生日で、導きに思えた。開湯から400年が2018年に控えていた。「歴史ある温泉を途絶えさせてはいけない」
近くにある泉源は被災後、「チョロチョロ」まで湯量が減ったが、次第に回復。11年の東日本大震災と原発事故で、復旧や支援、観光の流れは沿岸部に向かったものの、同業者らが支えてくれた。足湯から始め、15年に湯小屋を建てて日帰り温泉を再開できた。続いて自家製そばを出すカフェを併設した。
一時土砂に襲われた一帯では昨秋まで10年間、ボランティアによる植樹活動が続いた。延べ947人が植えたブナやミズナラなどの苗木は、若木に育ち、新緑の葉が鮮やかだ。
家族が病に襲われ、20年からのコロナ禍で再び休業を余儀なくされるなど、復興の道のりは平らではない。それでも、「ここまでこられたのは、温泉マニアや常連客らが支えてくれたおかげだ」と話す。
今後はコロナ禍の行方をみながら、完全予約制で通常営業の再開を目指す。被災前の旅館玄関前にあったカラマツは3年前に枯れて倒れてしまったが、「元の場所に復活させたい」。被災前の駒の湯をつなぎとめるものの一つだったから。
土石流から同じく一命をとりとめた父は22年1月に99歳11カ月で他界した。「体力的にあと何年続けられるか。冬の雪下ろしは大変で」と菅原さん。それでも、歴史ある温泉は守り続けたい。
宿泊客を災害に巻き込んだ過去の記憶は消せない。だからこそ、次にどう備えたらいいのか――。模索し、前へ歩み続ける。(山浦正敬)
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〈岩手・宮城内陸地震〉2008年6月14日朝に発生。震源は岩手県内陸南部で、最大震度6強の揺れを観測した。死亡・行方不明は23人。住宅の全半壊などは約2700棟を数えた。被害は宮城県栗原市に集中した。山間地で地滑りが多数発生したのが特徴で、栗駒山麓(さんろく)の荒砥沢(あらとざわ)の地滑りは、幅約900メートル、最大落差約150メートルと国内最大規模とされる。岩手県一関市では橋の橋脚が折れて落ちた。
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