「成長」って? 地味な研究者の25年と、小さくなったわが子の長靴
Re:Ron連載「よりよい社会」と言うならば(第4回)
グローバルニッチトップ企業で、クライアントの一つである某メーカー。ある日、人事管掌役員とこんな立ち話に。
クライアント(以下「ク」):開発部のAですけど、降格にはしませんが、異動です。部下なし、つまりひとり部門の部長でやってもらうことになりました。本件、まだオフレコでお願いしますね。
勅使川原(以下「勅」):Aさんですか? そうですか……。悪戦苦闘というか、孤軍奮闘と言うべきか、何かとご苦労はあるご様子だったかと思いますが、なるほど。結局、“成果が出ていない”といった判断になった、ということでしょうか?
ク:基礎研究だからそんな一朝一夕な成果を求めてきたつもりはないですけど、それにしたってあいつはダメですね。「成長」のないやつというか。実力不足です。
勅:確かAさんって新卒で入って、今年で勤続……?
ク:25年ですね。僕の五つ後輩ですから。
勅:25年間勤めて、「成長」のないやつ、ですか。彼なりに紆余(うよ)曲折あったでしょうに。
ク:まぁそれを言ったら誰でもありますから。企業も人も、前進、発展あるのみ。「成長」は至上命令、宿命と言ってもいいですよ。
実話を基に、エピソードは創作していることを断っておく。いろいろと、お尋ねしたくなった。「では人事管掌役員であるあなたの『成長』は何を指すのでしょうか?」とか。
Aさんのことも存じ上げているだけに、「なるほど、Aさんの『成長』というのは何を指すか、特に研究者の『成長』について、評価項目と日常業務におけるその到達状況について詳しく、お聞かせ願いたく……」なんて深掘りしたい気持ちもあったが、立ち話だし、丁寧に話さないとこじれそうだ。その場ではいったん、口を結ぶことにした。
「大きいことはいいことだ」だけなのか?
でも、考え込んでしまう。「成長」とは一般的に、何かが伸長、拡大、増大してことを成す、できなかったことができるようになる……etc.そんな意味だ。
総じて、“よくなる”こと、めでたいことと言ってもいい。となると、「よりよい社会」といったことばとの相性はある種抜群。「よりよい社会」に向けて、「持続可能な開発」や、持続的「成長」を目指そう、といった文言もおなじみだ。
先の役員ではないが、「成長」「前進」「発展」……は、耳にしない日がないほどの頻出ワードだ。これは企業のみならず、教育の現場などでもそうかもしれない。
ただ、そんなふうに多用され、かつ、社会においてみんながみんな志向すべきものと信じて疑われていない様子のことばこそを問い直すのが本連載だ。
これまで扱ってきた「能力」や「自立」につづいて、今回は「成長」について、ちょっと立ち止まって吟味してみたい。
「大きいことはいいことだ」的な世界観だけが「成長」なのだろうか。
結論を先取りすると、「成長…
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