表舞台から遠ざかって9年。「自民党のプリンセス」は目に涙を浮かべながら明日への決意を語った。彼女の政治家としての来し方は、日本政治の体質の古さを象徴するかのようだ。このまま守旧政治を突き進み、その頂点をめざすのか、それとも――。
13日午前、東京・永田町の自民党本部。普段であれば空席が目につく記者会見場は50人近い記者で埋め尽くされ、カメラマンが最前列を横並びに陣取った。
視線の先にいたのは、黒いパンツスーツをまとった小渕優子・選挙対策委員長(49)。重責を担う党4役の一角を得た、その日の会見に臨んでいた。
本来であれば、就任会見は晴れの舞台。しかし、過去についてただされると言葉を詰まらせ、目に涙をたたえて言葉を絞り出した。
「あの時に起こったことは、政治家として歩みを進めていく中で、決して忘れることのない『傷』。私自身の今後の歩みを見て判断していただきたい」
小渕氏の「傷」とは、2014年に自身の政治団体をめぐる不明朗な会計処理が発覚し、経済産業相を辞任に追い込まれたことだ。翌年、元秘書2人に政治資金規正法違反で有罪判決。小渕氏の管理責任を問う声が出たが、会見は地元群馬で辞任から1年後の15年に開いた1回のみだった。
「心からおわび申し上げる」「深くおわび申し上げる」。群馬での会見では、何度も深々と頭を下げたが、詳細を問われると、「関係者が亡くなったり、資料がなかったりして十分に説明できない」「捜査や調査の限界がある」と繰り返し、「これ以上の説明はできない。次の説明を考えているわけではない」。自ら幕引きを宣言した。
この間、SNS上では「ドリル優子」との批判が広がった。東京地検特捜部の家宅捜索前、パソコンのデータを保存するハードディスクがドリルで破壊されていた事実が報じられたためだ。
「青木先生の遺言」
1955年の自民党結党以来、「政治とカネ」の問題は続く。不祥事を起こしても、身を隠して時間をおき、次の選挙で当選すれば「みそぎは済んだ」とばかりに、説明責任をうやむやにする悪弊も変わらない。
だが、小渕氏の場合、SNS上での印象の強さもあってか、選挙でいくら当選を重ねても説明責任を問う声は消えない。
批判や疑念に向き合わない姿勢に「世間の風向きは厳しい」(閣僚経験者)との声が党内でくすぶり、目立つ要職への起用は避けられてきた。
世間からみれば「空白の9年…