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 大相撲観戦で国技館を訪れる多くの人が立ち寄るのが、敷地内に併設されている「相撲博物館」だ。

 姫路城主だった酒井家21代当主の故酒井忠正氏が幼少期から集め続けた膨大なコレクションが元になっている。蔵前国技館の開館を機に相撲協会に寄贈され、博物館が誕生。酒井氏が初代館長となった。2カ月に1度展示替えされており、6月15日まで「雷電為右衛門と寛政の大相撲」が無料公開されている。

 「史上最強力士」と評される雷電(1767~1825)。いきなり三役で登場した現役生活は、21年間で通算254勝10敗(引き分けなどを除く)。1場所で2敗以上が一度もなく、あまりの強さに、相手がケガをしないよう雷電だけは張り手などが禁じられたという逸話もある。

 だが、番付は大関止まりだった。なぜ、雷電は横綱になれなかったのか――。これは、相撲の歴史の大きな謎とされている。

 事実上の最初の横綱は、雷電の師匠で初めて正式に免許を与えられた4代横綱谷風と、同時昇進の5代小野川だ。成績を考えれば、雷電は「6代横綱」になっていても不思議ではない。

 「土俵で相手を殺してしまったから」「横綱への推挙を辞退したから」――。諸説あるが、明確な根拠はない。将軍に披露する「上覧相撲」での演出として横綱免許を与えたのではないかという説もある。ただ、1802(享和2)年の上覧相撲の際、谷風と小野川はすでに引退し、横綱不在だった。演出目的なら、当時全盛だった雷電が横綱になってもいいはずだ。

 力士の手形は大きいほど喜ばれたという。そのせいか、江戸時代のものは墨がたっぷり乗った手形が多い。B5判ほどもある巨大な雷電の手形も、そうだ。

 もしも雷電が、1ミリでも手形を大きく見せたいと考える人物だったら。そんな雷電なら、もらえるものなら横綱免許を欲したと思うのだが……。

 (抜井規泰)