[PR]

 全国高校野球選手権の京都大会は7月7日に開幕し、100回目の歴史を刻む。歴代代表校のうち、初優勝は第1回を除き20校。伏兵の勝ち上がりも多かった。どんなきっかけで「もっているチーム」になれたのか。甲子園初出場でなにが変わったのか。「初」をつかんだ元球児に迫った。

 「初戦で終わりや」。1979年7月の京都大会の抽選会。組み合わせを知り、宇治市の宇治高校(現立命館宇治)の4番打者だった磯部清治(きよはる)(56)=大阪府枚方市=は弱気になった。春の府大会で1―3で敗れた花園(右京区)が1回戦に勝てば、2回戦から登場する宇治とぶつかるからだ。

 宇治の監督だった円山治行(まるやまはるゆき)(65)=岡山市=は「京都大会で3年連続8強だったし、春も負けないと思っていた」。しかし、花園のエース左腕の速球を捉えられなかった。

 チームの夏の目標は「とにかく花園に勝つ」に。左腕の球を打つ練習を重ね、投球マシンの速度を上げた。主将の山本信一(56)=宇治市=は、500回の素振りを日課にした。

 抽選会当日、くじを引く山本に、円山は「花園を当ててこい」と声をかけた。それが言葉通りになった。花園は思った通り1回戦を突破してきた。

 花園を想定して練習を積んできたが、不安は消えなかった。「このメンバーでの最後の試合になるかもしれない。悔いのないようにやろう」。磯部はそう誓って試合を迎えた。

 一回表から試合は大きく動いた。春にやり込められた相手はボール先行。ストライクゾーンに置きにきた球を逃さず、一気に4点を奪った。磯部は「『最後の試合かも』と開き直ったから、いつも以上の力を出せた」と振り返る。

 二回にも7点、三回にも2点を加え、15―8で7回コールド勝ち。チームは勢いづき、3回戦と準々決勝もコールド勝ちした。

 前年秋の府大会を制した東山が1回戦で敗退し、大会4連覇がかかる京都商(現京都学園)も8強で姿を消した。山本は「ほんまに甲子園に行けるかも」と思いだした。そして準決勝で乙訓(おとくに)、決勝で峰山に打ち勝った。

 夏の歴代代表校は京都市内の高校だけだった。宇治は初めてその壁を破った。

 甲子園では、初戦で0―8で星稜(石川)に敗れた。磯部が併殺に倒れ、試合が終わった。一塁を駆け抜けた磯部。わき立つスタンドを見て、「この1敗はどこかで取り返したる」と心に決めた。

 磯部は卒業後、日本新薬(南区)でプレー。引退後に硬式の中学生チーム「大阪交野ボーイズ」の監督になり、2016年秋の関西大会で初優勝を飾った。しかし、昨年には日本新薬を退社し、ボーイズの監督も降りた。すべては高校野球の監督になるためだった。

 いまは大阪や京都を中心に、高校野球部を指導して回っている。「監督になって甲子園で勝ち、忘れてきた1勝を取り返す」と磯部。「甲子園初出場もボーイズの関西一も勢い。高校の監督としても勢いを得たい」。再び「聖地」をめざし始めた。=敬称略(川村貴大)