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 ◇100回目の球児たちへ(4)

 ◆フリーアナウンサー 赤江珠緒さん

 現在、フリーアナウンサーとして活躍する赤江珠緒さん(43)は、朝日放送のアナウンサーだった1999年から3年間、テレビ、ラジオで夏の甲子園の実況を担当した。兵庫県西宮市で育った赤江さんにとって、甲子園は「身近な場所」だった。

 小、中学の頃は、阪神甲子園球場がある西宮市で育ちました。地元の学校が集まる運動会が甲子園で年に1回あり、球場を走り回りました。土をブルマや靴の中に入れて持って帰りました。父親とかち割り片手に高校野球を見に行ったこともありました。

 高校は明石(兵庫)に進みました。野球部は戦前に甲子園で中京商(愛知・現中京大中京)と延長二十五回を戦ったことがある名門です。グラウンドにはこの試合をたたえる「善闘記念碑」がありました。野球部の休みは正月だけ。それでも甲子園に届かない。甲子園に出場する人はどれだけ練習しているのだろうと思いました。

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 朝日放送入社後、すぐに野球実況の練習を始めました。先輩アナウンサーの隣でスコアを書き、地方大会に足を運んで実況の練習をしました。甲子園では、1年目から応援席の様子をリポートしたり、試合後の選手をインタビューしたりしました。

 入社3年目にテレビの実況を任されました。前日に先輩の隣で試合を見ていたら、「明日、私がやるのか」というプレッシャーに押しつぶされそうになりました。「赤江、顔が死んでいる。土気色になっているぞ」と先輩から言われたのを覚えています。

 担当したのは大会第4日の第1試合、新湊(富山)と小松(石川)の隣県対決です。試合は九回が始まるまで5―0と小松がリードしていました。一方的に終わっちゃう試合かなと思いましたが、新湊が九回に5点取って追いついて延長になりました。両校の応援席の歓声がすごくて、隣の解説者の声が聞こえなかったのを覚えています。

 この試合が、朝日新聞が募集した「甲子園ベストゲーム47」の富山県1位になったと聞きました。すごくいい試合を実況させてもらえたな、と思います。

 取材した中で印象に残っている球児が2人います。1人は横浜の松坂大輔選手(現中日)です。98年の夏の決勝は、外野席の通路にも人が座っていて、それだけの人をひきつける球児はすごいなと、思いました。もう1人は、明徳義塾の森岡良介選手(元ヤクルトなど)です。2年生から取材していました。3年生は主将として出場。決勝戦で優勝が決まる瞬間に泣いているのを見て、勝って泣く涙は美しいなと感じました。

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 私は子どものころ、父に最初に買ってもらったおもちゃは野球のグローブでした。それ以来、父親とよくキャッチボールをしていました。男に生まれていたら、間違いなく野球をやっていたと思います。昨夏、長女が生まれました。大きくなったら、「女子野球やる?」って聞くかもしれません。

 夏に関西に帰ると、テレビやラジオから甲子園の実況や歓声があちらこちらから聞こえてきます。甲子園の音って、夏に欠かせない音です。

 今年は100回大会です。球児のみなさんには目いっぱい輝いてほしいです。甲子園が目標の学校もあれば、地方大会1勝が目標の学校もあると思います。でも、それぞれが「いい夏だった」と思える、達成感のある夏であってほしいです。

 (構成・滝口信之)