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 来年夏、聖火リレーが宮城県内で被災した沿岸部を走ることが決まった。運命の巡り合わせに感慨を抱く人がいる。5年前まで岩沼市長を務めた井口経明さん(73)は、1964年の東京五輪で聖火ランナーを務め、後に市長として震災対応を指揮した。

 55年前、聖火ランナーになったのはたまたまだ。当時は18歳、大学受験の浪人生。父親が岩沼町教育長だったこともあり、「走らないか」と役場職員に誘われた。「人がいないんだな」と思い、軽い気持ちで引き受けた。町では4人が選ばれた。

 リハーサル2回を経て本番は64年9月28日。北からリレーされてきた聖火を、名取市との境で引き継ぎ、奥州街道(国道4号)を2キロ、町役場まで走った。

 驚いたのは、大勢の人が沿道で声援を送ってくれたこと。雨の中、手にした日の丸を振っていた。「聖火ランナーって大変なことだなと、初めて気付いた」。この経験が、地元・岩沼のことを考えるきっかけになったという。

 それまでは、かなうことなら東京の大学に進み、就職も東京でと、漠然と考えていた。宮城教育大を卒業し、母親と学習塾を営んだ後、25歳で岩沼市議選に挑戦。市議7期、市長4期と「声援」を受けて走り続ける人生になった。

 東日本大震災が起きたのは市長4期目のとき。津波で市域の48%が浸水し、約180人が犠牲になった。沿岸6集落の集団移転をいち早く進め、岩沼市は「復興のトップランナー」と称された。その集落跡地で、次に巨大津波が来ても勢いを減衰させ、避難場所にもなるようにと十数カ所に築いたのが「千年希望の丘」だ。井口さんが命名した。その丘が、聖火リレーのルートになる。

 「1964年は、日本が世界の仲間入りをし、発展してゆく時期の五輪にかかわれた。今度は、被災地の復興と支援への感謝を伝える機会になる。千年希望の丘は、まさに復興のシンボルです」と話す。

 生涯2度目、また聖火を掲げて走りますか?

 「10メートルでも20メートルでも、走れるならありがたい。でもあの感動は、多くの若い人に味わってもらおうと思います」

 【1964年の聖火リレー】

 9月26日、岩手県から金成町(現・栗原市)で宮城県に入った。国道4号を白石市まで南下する86区間148・5キロのルートだった。26日夕、聖火は仙台市の県庁に到着し、2階バルコニーで聖火皿に点火。見に来た人が県庁前広場を埋め、ファンファーレとともに風船やハトが放たれた。翌日は知事応接室の安全灯に移されて1日休み、雨となった28日朝に県庁を出発。午後2時すぎに福島県側にバトンタッチされた。

 正走者86人は16~20歳の高校生や大学生、社会人の男性。パトカーや白バイに守られ、随走者らもいた。

(石橋英昭)