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 平成元(1989)年の参院選で紙面に登場した人々を30年ぶりに再訪した「元年の選択」。今回からは、平成生まれの世代が、初めての「元年参院選」にどんな思いで臨むのかを探る。バブルにわく30年前には見向きもされなかった問題が浮かび上がってきた。

 平成元年の参院選の翌年に生まれた、神戸市灘区出身の村尾政樹さん(28)。現在、子どもの貧困対策を推し進める「公益財団法人あすのば」(東京)で、ひとり親など困窮家庭の子どもが集うイベントや実態調査、政策提言に取り組む。

 小学6年の時、精神を患っていた母親が自ら命を絶った。3人きょうだいの父子家庭に。「自分のことは自分で」と父親に言われ、懸命に家事もこなした。

 市立神港高校(当時)に入学。大学の進学費用を稼ぐため、入りたかった野球部を諦め、ガソリンスタンドなどでバイトを掛け持ちした。友人らは当時はやり始めていたSNSを使いこなし、共通の話題で盛り上がっていた。でも、その輪には入れなかった。

 「KY(空気読めない)」という言葉が流行したのもこの頃だ。いやな思い出がある。同級生の一人が家庭の事情で名字を改めた。それを、名簿の順番が狂って色々面倒を生じさせるという意味で「KY」とやゆする友人がいた。自殺した人をおとしめるような発言をする教師もいた。

 学校の価値がわからなくなり、不登校気味になった。「自己責任」をことさら強調する論や、弱肉強食の新自由主義的な考えを振りかざす政治家が台頭し始めていた。「そうした思想が、じわじわと学校生活の中にも入り込んでいた」

 希望をもてる動きもあった。2008年のリーマン・ショック後、社会活動家らが力を合わせて「年越し派遣村」を立ち上げ、自殺対策などで政府や世論に働きかける姿を見た。「本気な大人がいる」と思った。

 翌09年、北海道大学教育学部に入学。その年、民主党政権が誕生した。同じように親を亡くした同世代と出会った。それまで一人で抱え込んでいた生きづらさが仲間とつながるきっかけになった。自殺対策のボランティア活動などに取り組み始めた。

 13年に子どもの貧困対策法が成立。15年、困窮家庭の声を政治に届ける「あすのば」設立に合わせて、誘いの声がかかった。

 今年5月、低所得世帯を対象に、大学や専門学校の入学金・授業料の減免や、給付型奨学金の拡充を盛り込んだ法律が成立した。大学卒業時、奨学金480万円の借金を背負った身として、長く願ってきた政策だ。だが、モヤモヤする。

 引っかかるのは、経済成長政策の一環と位置づけられたのに、それが表看板に出ず、「子どものため」と語られることだ。実際に聞こえてくる単語は「効率」「生産性」など、お金の文脈。卒業したらしっかり国の経済成長に貢献せよ、といっているように感じられる。「僕は、いつも命の次元から考えてきた。教育は、お金を稼げるようになるためだけにあるんじゃない。子どもの権利だ」

 こういう考え方に反論する人もいる。「無料になるならいいやん」と。深く考えることをせず、理念の薄い政策に絡め取られているだけだと村尾さんは思う。

 一方、今も奨学金を苦労して返済し続けている周りの同世代には、高等教育の無償化政策に「不公平だ」と別の観点から疑問を示す人もいる。不満が上ではなく、横に向かっている。子どもたちを支える現場でも、そうだ。ひとり親の理由が「死別か離別か」、居場所は「児童養護施設か親元か」。子どもたち同士で「どっちがマシか」を比べ合う。そこかしこで、小さな分断が起きている。

 「僕が大人になりきれていないのかも知れないが、いい社会に向かっているとは思えない」。ただ、6月に改正された子どもの貧困対策法の議論過程では、子どものために党派を超えて協力しあう議員たちを直接見ることができた。

 社会の課題にきちんと目を向ける政治家の存在があってこそ有権者は希望を見いだせる、と村尾さんは考える。(中塚久美子)

 子どもの貧困 日本の子ども(17歳以下)の貧困率は13・9%(2015年)で、7人に1人が貧困状態。ひとり親世帯では50%超で、先進国の中で最悪の水準だ。「貧困」とされるのは年間可処分所得が1人世帯で122万円未満。飢えなど命に関わる「絶対的貧困」のほか、その国で一般的な生活や教育などの機会が得られない「相対的貧困」が先進国を中心に深刻化している。13年に成立した子どもの貧困対策法などに基づき、児童扶養手当の増額や学習支援への補助などが進む一方、生活保護費は減額されている。