[PR]

「がんばれ」言いに来てくれた 村田で闘病中・千尋利文さん(49)

 亘理署で今月2日、村田町に住む千尋利文(ちひろとしふみ)さん(49)に、黒のぼろぼろのバッグが引き渡された。

 中に入っていたのは、震災で亡くなった父親の勝三(かつみ)さん(当時72)、母親キミ子さん(同66)名義の印鑑登録証、金融機関のカードや給油カードなど十数枚、判読できない書類の切れ端多数、印鑑12個。

 実家は山元町中浜の海の近くにあった。2月、そこから1・5キロほど内陸の竹やぶで、泥にまみれたバッグを見つけた人が、警察に届けてくれたのだ。

 「オヤジは農家の長男らしく、家のお金のことは全部仕切っていた。いざというとき持ち出せるよう、大事な物をまとめていたんでしょう」と利文さん。

     *

 勝三さんは名取市の会社を定年退職した後、田畑に出ながら、キミ子さん、次男の3人でのんびり暮らしていた。長男の利文さんも、娘が高校を卒業したら、実家に戻り同居するはずだった。

 震災の日、利文さんは仕事で山形県にいた。

 地震の後、太平洋岸に大津波警報が出たのを知り、実家の両親に電話するが、つながらない。1時間ほどして、やっと勝三さんの携帯に通じた。

 「オヤジたち、どごさいたんだ?」

 車で家を出ようとして、地盤沈下で突き出したマンホールに乗り上げ、パンクして立ち往生をしているところだという。「出られねぇんだ」。ただ、声にさほど緊迫感はない。

 「車なんかいいがら、歩って早く避難しろ!」

 耳が少し遠かった勝三さんは、携帯をキミ子さんに替わった。利文さんは「そこから遠くに離れろ」と繰り返す。そのうち、キミ子さんが誰かに向かって言うのが聞こえた。

 「何?津波来たのけ?」

 次の瞬間、電話はぷつんと切れた。

 3月末、相次いで両親が見つかった。引き波が強かったのか、キミ子さんは家から海側に運ばれていた。自宅は土台しか残っていない。いくら捜しても、ご先祖様の位牌(いはい)もアルバムも、何も見つからなかった。

 自宅跡は災害危険区域になった。墓参りの時ぐらいしか、山元町まで行くこともなくなった。

 あれから9年――。

     *

 利文さんは昨年秋から体調を崩し、しばらく入院していたという。自宅で療養しているところに、亘理署から電話が来た。

 ひょっこり出てきた両親の証し。「オヤジと母ちゃん、俺に『がんばれ』って言いに来たんだ」

 電話の後、妻と泣いた。「病気なんかに負けられねえ」と思った。

 受け取ったバッグやカード類は、仏壇のそばに置いてある。ゆっくり整理して、3人の妹弟と形見分けをする。

(石橋英昭)