(26面から続く)

(3)謝罪しないこととした判断について

 報道内容に誤りがあった場合、おわびしてその報道を取り消すということは自然な対応であるし、朝日新聞の記者行動基準の「公正な報道」においても「1.正確さを何より優先する。捏造や歪曲、事実に基づかない記事は、報道の信頼をもっとも損なう。(略)」「2.筆者が自分であれ他の記者であれ、記事に誤りがあることに気づいたときは、速やかに是正の措置をとる」とされていることからしても、報道内容に誤りのあることが発覚し、これを取り消すという場合には、取消しとともにおわびをするのが妥当である。2014年検証において謝罪はしないこととした判断は、謝罪することによる影響の一部に強くとらわれて判断したものであり、報道機関の報道の自由が国民の知る権利に奉仕するものであることから憲法21条の保障の下にあるということを忘れ、事実を伝えるという報道機関としての役割や一般読者に向き合うという視点を欠落させたものと言うべきである。

(4)「経営と編集の分離」原則と今回の対応

 2014年検証の作成に経営上の危機管理として経営幹部が関与したことについては、朝日新聞が組織体として新聞の発行事業を行っている以上、経営幹部が一定の関与をすること自体はあり得ることであり、2014年検証記事のような朝日新聞の経営に大きな影響があり得る記事について経営幹部が関与したこと自体は必ずしも不適切とはいえない。

 しかし、経営幹部において最終的に謝罪はしないことと判断したことは誤りであった。このような経営幹部の判断に対し、編集部門にはこれに反対の者がいたのであるから、反対する者は、できる限り議論を尽くし、そのような結論となるのを回避する努力をすべきであり、編集部門の責任者や経営部門はこれを真摯に受け止めるべきであった。このような努力が十分尽くされたとまではいえない。

 

10 池上コラム問題

(1)事実経過

ア 2014年検証の担当チームは、2014年検証を企画している中で、池上氏に対し、慰安婦問題について論評してもらうこと、それが難しければ、毎月最終金曜日に掲載している池上氏のコラム(「新聞ななめ読み」)で検証記事について取り上げてもらう依頼をした。

 池上氏は、検証記事について論評するのは時間もないので難しい、しかし、慰安婦問題に関する報道の検証記事を掲載することは「新聞ななめ読み」で取り上げるべき内容なので、そこで書きたいと回答した。

イ 2014年検証が、最終的に8月5、6日付紙面に掲載されることとなったことから、同月29日付紙面に2014年検証を取り上げる池上コラムの掲載が予定された。

 池上氏は、池上コラムを担当しているオピニオン編集部の担当者に対し、同月27日午後、原稿を電子メールで送信した。担当者はこれに、「過ちは潔く謝るべきだ」という見出しを付けた。

ウ 当時、経営幹部は、2014年検証に対する他の新聞等の反応を注視しており、これに関する報道は、編集担当の杉浦、広報担当の喜園、社長室長の福地ら危機管理を担当していた役員らと社長の木村が目を通していた。2014年検証を取り上げる池上コラムについても、危機管理担当の役員らは、原稿が届いたら内容を確認することとしていた。担当者は、池上氏から原稿を受領した後、GEである渡辺にゲラ刷りを手渡すとともに、GM補佐の机上に置いてこれを配布した。ゲラ刷りは、GMである市川にも渡されたほか、杉浦、喜園、福地に配布され、社長の木村も原稿を見た。

 渡辺は、ゲラ刷りを受け取った時点では、掲載することで問題ないと考えていた。しかし渡辺は、27日の夕方になって、木村が難色を示しており、このままでは掲載できないということになった、今後の対策として、〈1〉違うテーマで書き直してもらう、〈2〉掲載するのを止める、〈3〉見出しをマイルドにするのいずれかにできないかといった趣旨のことを池上コラムの担当者に述べた。これに対しオピニオン編集部は、〈1〉については、そもそも池上氏には朝日新聞から依頼したテーマであること、これまで基本的に内容には注文を付けないことでやってきたので難しい、〈2〉については、そうすると連載打切りは避けられず、非常に不自然な終わり方になる、池上氏の記事を握りつぶしたとバッシングを受けるおそれがあるなどと反対した。協議した結果、27日深夜、見出しを「訂正遅きに失したのでは」とマイルドなものに変更して掲載しようということで、杉浦が木村と話すことになった。

 その結果もこのままでは掲載できないということであったので、渡辺及びオピニオン編集部は、杉浦に対し、池上氏の原稿を載せなかった場合、慰安婦を巡る問題の議論が言論の自由を巡る問題に変わってしまう、などの意見を述べた。これに対し杉浦は、これは経営上の危機管理の観点からなされたものだなどと説明した。その結果、28日の夕方、渡辺及び担当者らが池上氏と面談し、掲載見合わせについて説明することになった。

エ 池上氏との面談において、渡辺から池上氏に対し、危機管理の観点からこのままでは載せられない、おわびがないという部分を抑えたものに書き直してもらえないかなどと依頼した。これに対し池上氏は、細かい言葉の修正ならともかく、根幹にかかわる部分は修正できない、おわびを求めるというのは変えようがない、これがだめならジャーナリストとしての矜持が許さないので連載は打ち切らせて欲しいなどと答えた。

 渡辺らは池上氏に対し、連載打切りについてはいったん持ち帰らせて欲しい旨伝え、その日の面談は終了した。朝日新聞は、池上氏の発言を踏まえ、「新聞ななめ読み」をどのように終わらせるかについて検討し、池上氏に打診するなどした。

オ その後、朝日新聞が池上氏のコラムの原稿を掲載しなかったことについて、9月1日以降、週刊新潮や週刊文春が池上氏に取材するとともに、朝日新聞に対しても取材の申し入れがあったことから、池上氏のコラムの原稿を掲載しないこととしたことが外部に漏れたことが判明した。取材に対して朝日新聞は、「弊社として連載中止を正式に決めたわけではありません。池上彰氏と今後も誠意をもって話し合ってまいります」と回答した。

 一旦は「新聞ななめ読み」が終了したことを報道される前に告知することを検討したが、9月3日、池上氏のコラムの原稿をそのまま掲載することとした。そこで、池上氏に連絡し、経緯について朝日新聞からの説明を付したうえでそのまま掲載したいなどと説明した。池上氏は、経過について自分のコメントも掲載することを条件に掲載を了解した。朝日新聞は、9月4日付紙面に、池上コラムを、朝日新聞からの経緯の説明及び池上氏のコメントと共に掲載した。

(2)池上氏の原稿を掲載しなかったことについての朝日新聞の説明について

ア 掲載しないという判断をした経緯についての説明

 池上氏のコラムを掲載しないこととした経緯について、木村は、池上氏の原稿については、あくまで感想を述べただけで、掲載見送りを判断したのは杉浦である、という趣旨の説明をした。

 しかし、8月27日に池上氏から原稿を受け取った際、編集担当を含む編集部門は、これをそのまま掲載する予定であったところ、木村が掲載に難色を示し、これに対して編集部門が抗しきれずに掲載を見送ることとなったもので、掲載拒否は実質的には木村の判断によるものと認められる。なお、この判断に対し、編集部門は反対であったのであるから、可能な限りの意見を述べ、議論を尽くして、掲載拒否の結果を招かないよう努力すべきであり、編集部門の責任者や経営幹部はこれを真摯に受け止めるべきであった。このような努力が十分尽くされたとまではいえない。

イ 池上氏との交渉経緯についての説明

 担当者は池上氏の原稿をこのままでは掲載できないと判断した時点でコラムが打切りになる可能性が高いと認識し、現に池上氏から打ち切りたいと言われたことからすると、交渉担当者が、「いったん持ち帰らせて下さい」といってその場で承諾はせずに持ち帰ったとしても、実質的にはその時点で打切りは決まっていたと認められる。現に池上氏は28日の時点で終了が決まったと理解していた。

 このような状況について、「池上彰氏と今後も誠意をもって話し合ってまいります」と説明するのは、池上氏との協議の内容を余りに朝日新聞に有利に解釈したものというべきである。

 

11 「経営と編集の分離」原則

(1)「経営と編集の分離」原則について

 新聞社における報道の自由は憲法21条の保障のもとにあると理解されている。他方、新聞社における報道は新聞社の事業として行われているから、経営幹部が報道の内容に関与する権能を有すること自体は、あり得ることである。

 しかし、経営幹部が報道の内容に不当に干渉することにより内容が歪められることがあれば、報道の自由が認められる目的を達することができない。そこで、編集機能と経営機能を分離し、編集に関する最終決定は経営に携わらない編集部門の責任者が行うようにすべきであるという考え方(「経営と編集の分離」原則)が提唱されている。

(2)2014年検証記事への経営幹部の関与について

 「経営と編集の分離」の考え方は、民主主義社会における言論の自由の十全な発展のために極めて重要な考え方であり、新聞社において守られるべき原則であるとしても、新聞社が組織として危機管理を必要とする場合については、合理的な範囲で経営幹部が編集に関与すること自体はあり得ることである。

 このような理解を前提として2014年検証への経営幹部の関与についてみると、近年の朝日新聞を取り巻く状況に鑑みれば、危機管理が必要な場合であるとして、合理的な範囲で経営幹部が編集内容に関与すること自体はあり得ることである。

 しかし、2014年検証は、企画立案から紙面の内容に至るまで、経営による「危機管理」という側面が先行しすぎている。「社を守る」という大義によって、さまざまな編集の現場の決定が翻された。それゆえに、本論である慰安婦問題の伝え方は、一般読者や社会の納得のいく内容とはなっておらず、結果的に危機管理そのものも失敗した。その意味でも、報道機関において「経営と編集の分離」の原則を維持し、記者たちによる自由闊達な言論の場を最大限堅持することの重要さについて、いま一度確認すべきである。

(3)池上コラムに対する経営幹部の関与について

 池上氏のコラムの原稿を掲載しないこととした判断については、関係者らは危機管理的な観点から検討した結果である旨説明するが、それは視野の非常に狭い内向きの議論であり、上記報道機関としての役割や一般読者の存在という視点を欠落させたものである。「経営と編集の分離」原則との関係でも不適当な関与がされたといわざるを得ない。

(4)まとめ

 朝日新聞は、近年の新聞業界がおかれた厳しい状況を踏まえ、インターネット時代の本格化の中で、中長期的な新聞経営危機の打開を最大の課題とし、2012年に木村体制が発足した。木村は、デジタル戦略の本格化、社内分社化によるコスト削減構想の推進などを軸に、素早い判断と決断、実行をより重視し、取締役会への権限集中をはかってきた。木村は、このような素早い判断と決断、実行力を買われて社長に抜擢されたということを述べる者もいた。今回の慰安婦報道に関する一連の問題も、こうした経営体制の中で起きたことである。

 2014年検証は、こうした経営体制から生まれた危機管理の一環であった。そこには、従来のコンセンサス型経営方針からの転機に加えて、社員や販売店への嫌がらせ、朝日新聞に対する攻撃などもあり、朝日新聞の幹部は、自社内部の危機に集中するあまり、外部環境を適切に識別する力を失っていった。一般読者の意見、社会の一部の極端な意見、同業他社の目、社会全般の意見などを混然一体として議論していた様子がうかがわれ、失敗を重ねるごとに、これらの点を注意深く議論して、対策をとる力を失っていったと認められる。

 

12 国際社会に与えた影響

 標記については、当委員会の数名がそれぞれその専門的立場からアプローチし、3つの、異なる側面から検討した結果が報告された。当委員会では、これら検討結果について資料を参照しつつ協議検討し、いずれも当委員会の本問題に対する報告とすべきであるという結論となった。

(1)国際社会に与えた影響(岡本委員、北岡委員)

 欧米、特に米国で日本についての広報活動を行う際に最も多く受ける質問のひとつが「慰安婦」である。韓国系米国人が慰安婦問題を組織的にキャンペーン事項にしていることもあり、この問題を巡る日本批判の動きは今も衰えない。

 のみならず、抗日戦争勝利記念70周年にあたる2015年に焦点をあてて世界的に反日キャンペーンを強化しようとする中国政府が、慰安婦問題についても日本非難を展開しようとしている兆候もある。

 米国には慰安婦に対する定型化した概念がある。例えば2014年12月2日のニューヨークタイムズ紙は慰安婦問題について在京特派員発の大きな記事を掲載したが、そこには次のように記されている。「主流に位置するほとんどの歴史家の見解は、日本陸軍が征服した領土の女性を戦利品として扱い、彼女たちを拘束し、中国から南太平洋地域にかけて軍が経営していた慰安所と呼ばれる売春宿で働かせたという点で一致している。女性達の多くは、工場や病院で働くとだまされて慰安所に連れてこられ、兵士たちへの性行為を強制された」

 本件記事にしても、今回インタビューした海外有識者にしても、日本軍が、直接、集団的、暴力的、計画的に多くの女性を拉致し、暴行を加え、強制的に従軍慰安婦にした、というイメージが相当に定着している。

 このイメージの定着に、吉田証言が大きな役割を果たしたとは言えないだろうし、朝日新聞がこうしたイメージの形成に大きな影響を及ぼした証拠も決定的ではない。

 しかし、韓国における慰安婦問題に対する過激な言説を、朝日新聞その他の日本のメディアはいわばエンドース(裏書き)してきた。その中で指導的な位置にあったのが朝日新聞である。それは、韓国における過激な慰安婦問題批判に弾みをつけ、さらに過激化させた。

 第三国からみれば、韓国におけるメディアが日本を批判し、日本の有力メディアがそれと同調していれば、日本が間違っていると思うのも無理はない。朝日新聞が慰安婦問題の誇張されたイメージ形成に力を持ったと考えるのは、その意味においてである。

 海外が慰安婦問題について持っている誤ったイメージに対しては当然に反論すべきではある。また本件に対する現在の日本の対応ぶりについても、アジア女性基金を通じて民間と政府の見舞金が元慰安婦に渡されたばかりでなく総理大臣が慰安婦の一人一人に謝罪の書簡を出してきた事実、さらには相当数の慰安婦は日本人であった事実などは海外で報道されない。そして韓国側の一方的な主張のみが既成事実化していくことに焦燥感を抱く日本人は多い。

 しかし、いかに日本として対応するかは、必ずしも簡単ではない。日本側が反論すれば、多くの場合、いっそう火に油を注ぐ結果になるからだ。吉田証言を報じた記事の取消しにしても、吉田証言は問題のほんの一部に過ぎないと海外の有識者は反論し、海外の一般市民は「日本にはそのような制度があったのか」と改めて好奇心を示すという展開になる。

 これまで日本は、外国世論との関係で、歴代首相の靖国参拝、南京事件、捕鯨、イルカの殺処分、政治家によるマイノリティーや女性蔑視発言等、様々な摩擦案件があったが、慰安婦問題ほど日本にとって深刻で対応が厄介な問題はない。当委員会に託された任務を超えることであるが、基本的に対応を考え直す時である。

(2)国際社会に与えた影響(波多野委員)

 1980年代末に韓国の民主化の過程で慰安婦問題が浮上してくるが、朝鮮半島での徴用労働者の「強制連行」が日韓間の焦点であったことから、この問題は、募集段階での「強制」の有無や程度という今に続く問題設定に投げ込まれる。吉田清治氏に関する朝日の扱いも80年代には強制徴用の実行者としてであった。

 日本政府でも戦時徴用業務と慰安婦は無関係と認識され、従って90年6月の国会では政府委員が「民間業者が連れて歩いた」ようであり、実情調査は困難と答弁した。91年8月、初めて実名で取材に応じた金学順氏は、同年12月に東京地裁に提訴するが、この答弁が一つの引き金となった。日韓両政府は、この問題が年明けに予定された宮沢首相の訪韓で争点化することを懸念し、訪韓前の真相究明の約束と謝罪に合意した。

 92年1月11日の朝日の1面トップの「軍関与」報道は、韓国メディアが軍による強制を明白にしたもの、と大きく報じ、韓国世論の対日批判を真相究明、謝罪、賠償という方向に一挙に向かわせる効果をもった。さらに宮沢訪韓の直前、「女子児童までもが挺身隊に」という韓国メディアの報道は、朝日の「軍関与」報道と相乗効果をもって「日本政府糾弾」の世論や運動を地方にも広げ、訪韓した宮沢首相は謝罪と反省をくり返すことになる。朝日の報道は宮沢訪韓にも影響を与え、韓国は対日交渉への利用を意図していた。

 政府が軍関与を認めて謝罪を先行させたことも一因となり、軍関与の有無と程度、とくに徴募段階での強制連行にこそ問題の焦点があるかのような日韓メディアの報道が続く。朝日はその先頭に立っていた。朝日にとって「軍関与」とは、強要・強制の意味をもつものであった。統治下の朝鮮で日本官憲は「男性には労務や兵役を、女性には兵士の慰安をという役割を強要した」のである(1月12日社説)。

 92年7月、政府は調査の結果、慰安施設の設置や管理、慰安婦の募集に当たる者の取締りなど様々なレベルで「政府の関与」を認め、謝罪を表明する加藤談話を発表した。だが、朝鮮半島では軍による組織的な強制連行を示す資料は発見されず、政府は調査範囲をアジア全般に広げ、その結果が93年8月の河野談話として発表された。談話の作成過程では「強制」の表現が焦点となり、朝鮮半島ではなおも強制連行の事実は確認できなかったが、韓国側の意向をも踏まえながら、「総じて本人たちの意思に反して」と表現された。韓国政府は談話を「全体的な強制性を認定」したもの、と評価した。強制連行を示す資料の未発見は、強制をめぐる「狭義」か「広義」か、公娼制度の延長かという、今日に続く国内論争の構図を定着させた。

 朝日がその紙面で、いわゆる「広義の強制性」を前提に議論をするようになるのは、97年3月31日の特集記事である。この時までに、吉田証言が「強制連行」の根拠として否定されていたが、この特集記事では「真偽は確認できない」とした。その一方、同日の社説は、「日本軍が直接に強制連行をしたか否か、という議論の立て方は、問題の本質を見誤るものだ」、資料や証言をみれば、「全体として強制と呼ぶべき実態があったのは明らかである」としたうえで、河野談話を「当然の結論」と認めている。それまでの「狭義の強制性」に傾いた報道から、吉田証言の危うさが明らかとなって、河野談話を梃子として論点をすりかえた、と指摘されてもやむをえまい。

 2日後の社説(97年4月2日)では、「問題は、侵略戦争と植民地支配の下で、政府・軍が関与して多数の女性の意思に反し、その尊厳を踏みにじったことにある」と、問題の重点を女性の尊厳や人権の問題に移していく。96年のクマラスワミ報告や、2000年末の女性国際戦犯法廷に対する突出した報道量と高い評価は、それを鮮明に示している。

 この間、国民的償い事業として、95年7月に発足した「アジア女性基金」に対し、朝日は、当初は「基金方式」に否定的で、批判の声を積極的にとりあげていたが、やがて「国家補償が望ましいが、次善の策としてはやむをえない」という評価を定着させる。しかし、クマラスワミ報告や女性戦犯法廷に関する報道は、それらを支持・支援するNGOの声をもってアジア女性基金を批判し、国家補償が唯一の道であるかのような印象を与えるもので、こうした評価を影の薄いものとしていた。

 2000年代の朝日は、一貫して河野談話を擁護し、慰安婦問題の「本質」は女性の人権や尊厳の問題だ、という論調を基本におく。たとえば、「一部メディアは、問題の核心は『強制連行』があったかどうかだ、と主張している。そうした議論の立て方が問題の本質から目をそらしている」として、「民族や女性の人権の問題ととらえ、自らの歴史に向き合う。それこそが品格ある国家の姿ではないか」といった主張である(2007年3月10日社説)。

 朝日は、慰安婦問題の本質は女性の人権や尊厳の問題だと、しばしば説くが、現実的な解決策や選択肢を示せないまま、「本質論」に逃げ込むような印象を与えることは否めない。

 朝日は、強制連行の実行者としての吉田氏を度々紙面に登場させたが、内外メディアに全く注目されず、その意味では女性の尊厳を貶めている日本、という国際的評判を広めたわけではない。他方、吉田証言を日本の名誉を貶めるもの、と認識する国内勢力は、それが河野談話の有力な根拠とみなしていた。吉田証言が虚偽であることが明白になると、河野談話の見直しに言及するようになり、直ちに、国際的反発を招くことになった。強制性をめぐって韓国の主張を加味し、双方の微妙なバランスを表現した河野談話は、その国際的信認を失う危険にさらされる。これが吉田「虚偽」証言のもう一つの影響である。

 最後に、慰安婦問題を決着させる機会は、政府間レベルでは少なくとも3度あった。93年の河野談話、95年のアジア女性基金の創設、98年の金大中大統領と小渕首相の首脳会談である。これらの機会がなぜ、失われていったか、改めて問われる必要がある。

 (28面に続く)

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