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 チュニジアの博物館襲撃事件で負傷した陸上自衛隊の3等陸佐、結城法子さん(35)が21日、日本大使館を通じて朝日新聞など日本メディア数社に手記を寄せた。当時の心境を「生きた心地がしなかった」と振り返った。

 手記によると、結城さんは母と14日に日本を出国。イタリア・ジェノバ発の7泊8日のクルーズに参加した。18日朝にチュニスに入港し、ガイドツアーでバルドー博物館を訪れた。

 展示室を移動中に襲撃に遭遇。逃げ込もうとした展示室でも発砲があり、入り口を振り向くと、銃を持った男が立っていたという。結城さんは男の顔を見ることなく、すぐに頭を手でおおって床にふせたという。「死ぬのだと思った」「現実のこととは思えなかった」とつづった。

 また朝日新聞など一部メディアの取材に触れ、「どうか私たちを静かに見守っていてほしい」と結んでいる。

 事件では、日本人3人を含む外国人観光客ら21人が死亡した。

 ■結城法子さん手記全文(原文ママ)

 日本の皆様には多大なる御迷惑・御心配をおかけしていることと思います。申し訳ありません、そしてありがとうございます。事件後、ネットやTVを見ることができず、あそこで何が起きたのか、どのような報道がされているのか、全くわかっていません。今はとても人前に出られる状態ではありませんので、文章で失礼させて頂きます。

 私と母は、3/14に日本を出発し、3/15にイタリアのジェノバから7泊8日の予定でMSCスプレンディダに乗り、クルーズに出発しました。3/18の朝8時ごろチュニジアに到着し、ガイドツアーに参加しました。英語とフランス語のガイドでしたので、話をあまり理解できていなかったかもしれません。

 11:30ごろ、現場となったモザイク博物館に到着しました。2階を見学している時に、ツアーの参加者が「窓の外に銃を持った人がいる」といい、何人もがのぞいていました。ガイドは、「チュニジアではよくあることだ」と言ったように思います。あまり緊迫感はなく、まさか発砲されるとは思いませんでした。

 その後、ガイドに部屋を移動するように言われ、移動している途中で銃声が聞こえました。皆走りだしました。しかし、入ろうとした部屋で発砲され、人が血を流して倒れるのが見えました。前の人々が立ち止まったので、私はうしろへ倒れました。その時、後方から銃声がし、耳に痛みを感じました。部屋の入り口を振り向くと、男が銃を持って立っていました。顔は見ていません。すぐに頭を手でおおって床にふせました。かなり長い間銃が乱射されていました。身体中に痛みがあり、私は死ぬのだと思いましたが、とても現実のこととは思えませんでした。

 しばらくして男が去り、起き上がると部屋には約10名の人々が倒れていました。無傷の人々もいましたが、動かない人もいました。

 私は左手、左耳、首に痛みがあり、血が流れていましたが、大きな問題はなさそうでした。母は私の隣で倒れていました。首から出血し、頭の下に血だまりができていました。呼びかけると、「首が痛い」と言い、手足を動かしたので少し安心しましたが、自力で動くことはできませんでした。その後も遠くから銃声や爆発音が聞こえ、また犯人が戻ってくるかもしれない、と思うと生きた心地がしませんでした。私が母を旅行に誘ったので、本当に母に申し訳ないと思いました。

 銃を持った警察が助けに来てくれた時には安心して号泣してしまいました。母を助けるようにお願いしましたが、歩ける人が先と言われ、私は母と別れ救急車へ連れていかれました。

 病院へ着くと、パスポートなどが入ったバッグはとられて、携帯もなくなってしまいました。診察を受け、処置を受けた後、全身麻酔が必要なので移動する、と言われ、また救急車で移動しました。外でも、救急室でも、多くの人がいて写真やビデオを向けられ、とても不快でした。

 新しい病院にうつると、すぐに病室へ通され、まず局所麻酔で耳の処置をされました。かなりの痛みがあり、それを伝えると、手と背中の処置はもっと痛いので、全身麻酔でする、と言われました。

 その後、部屋に大勢の人々が入ってきました。チュニジアの首相や、政府の方々に、母を見つけて欲しいとお願いしました。その後、NHKやニューヨークタイムスを名のる人々も来て質問に答えるように言われました。そうしなくてはならないのだ、と思い答えましたが、何を話したのか正直なところ覚えていません。

 日本大使館の方がいらして、日本の家族の連絡先を聞かれましたが、携帯がなかったので実家の固定電話しかわからず、なかなか連絡がつかなかったようです。

 夕方になり、母は他の病院で手術を受けていて無事だ、ということがわかり、安心しました。しかし、私も手術が必要だと言われ、手術室へ移動しました。全身麻酔だったので起きたらすべて終わっていたのですが、手術前と比べ激しい痛みがあり、お願いして痛み止めを使ってもらいました。しかし、母は全く英語が話せないので、話が通じているのだろうか、痛みはないか、と不安になりました。手術は3時間ほどで、夜10時をすぎていたようです。

 病室へ帰ると、大使館の方と日本人の現地のコーディネーター、という方がいました。私は1日中泣いていたせいで目が腫れあがってあけることができず、その方の顔は見ていません。大使館の方は母に電話をかけて下さり、母の声を聞いて安心しました。コーディネーターの方は電話をして、日本テレビのインタビューを受けるように言いました。言われるがまま質問に答えましたが、ボーッとしていてはずかしかったので、インタビューをそのままテレビで流していいですか、と言われ断りました。すると、すでにNHKのインタビューがテレビで流れていて、名前も顔もでているからいいでしょう、と言われました。その時初めてそのことを知り、ショックを受けました。

 翌日の朝にはパスポートなどが入ったバッグが戻り、大使館の方を通じて日本の家族と話すことができました。母も、私のいる病院に転院してきて、一緒の病室に入ることができました。

 部屋をうつった後、部屋の前で「取材をさせて下さい。あなたに断る権利はない」と日本語でどなっている声が聞こえ、ショックでしたが、それは私にではなく、大使館の方に言っているようでした。大使館の方は、「朝日新聞の記者の方がインタビューをさせて欲しいと言っているが、受ける必要はない。体調も良くないし、インタビューがどう使われるかわからないし、あなたには断る権利があります」と言われました。今まで、義務だと思いインタビューを受けていたので、涙がでるほどうれしかったです。

 昨日、フジテレビの方にも取材を申し込まれました。お断りしようと思いましたが、今の自分の気持ちを伝え、今後の取材をお断りするかわりにこの文章を書いています。母は今日また手術を受け、その結果によっては日本に帰ることができるようです。私も母も無事ですが、体調は悪く、はやく日本に帰りたいです。

 チュニジアの方々や日本大使館の方々には大変感謝しています。こちらには情報が入ってこないので、何が起きているのは正確にはわかっておらず、誤解もあるかとは思いますが、どうか私達を静かに見守っていてほしいと思います。

 3/20 09:00 結城法子

 ■取材の経緯、説明します

 今回の事件で犠牲になられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、結城さんをはじめ負傷された方々の一日も早い快復をお祈りします。

 手記の中で結城法子さんが朝日新聞記者の対応について触れられた部分について経緯を説明します。

 事件取材では、何が起きたかを報じる上で、公的な発表だけでなく、当事者への取材が欠かせません。

 記者は、発生翌日の19日午後(日本時間同日夜)、チュニス市内の病院を訪れました。

 救急部門の責任者の医師に朝日新聞の記者であると告げ、取材したところ、結城さんについて「軽傷なので病室に行くといい。インタビューできると思う」との説明を受けました。結城さんのインタビューがすでにテレビで報じられていたこともあり、取材可能だと受け止めました。

 病室の前までは、病棟の警備担当者の先導を受けました。病室前にいた日本人男性が「大使館です」と答えたため、記者だと名乗った上で「取材をさせてほしい」と伝えましたが、「できない」「だめだ」と断られました。

 「医師からの了解はもらった」と説明しても対応は変わらず、「結城さんご本人やご家族が断るならわかるが、あなたが決める権利はないですよね」と聞いたところ、「私は邦人を保護するのが仕事です」との返答でした。こうした対応が結城さんの意向を受けたものか分からなかったため、「ご本人に聞いてみてほしい」と、しばらくやりとりを繰り返した後、大使館員は結城さんの病室に向かいました。警備担当者に「後にした方がいい」と促されたため、記者はこの時点で取材はできないと判断し、病棟を退出しました。

 今回、記者は医師の了解を得るなどの手続きを踏みました。大使館員とのやりとりについて、記者には大声を出したつもりはありませんでしたが、手記の中で「どなっている声が聞こえ、ショックでした」と記されていることを重く受け止め、結城さんにおわびします。

 当事者への取材にあたっては、十分な配慮をしながら、丁寧な取材をこころがけたいと思います。

 (国際報道部長・石合力)

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