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 朝日新聞社の「報道と人権委員会」(PRC)は12日、フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」への襲撃事件をテーマに定例会を開いた。宗教と風刺画をどう見るか、表現の自由をどのように考えるのか。意見を交わした。

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 長谷部恭男委員(早稲田大学教授)

 宮川光治委員(元最高裁判事)

 今井義典委員(元NHK副会長)

 ――シャルリー紙への襲撃事件の背景事情をどう見るか。

 長谷部委員 フランスでは昨年末からイスラム系の男による警察署や買い物客の襲撃などが各地で立て続けに起こった。そういうテロ事件のうちの一つの標的がたまたま新聞社だった、と感じている。昔からのことだが、異文化と衝突して自己の価値観が揺るがされた時、過激な思想や行動が出てくることは起こりがちで、テロの背景にも、異文化の衝突があるのではないかと考えている。

 宮川委員 この事件は個人テロではない。イスラム過激派テロ組織が大きな効果を狙って、襲撃目標を報道機関に定めたのだと思う。シャルリー紙の事務所を狙ったのは、この時間帯に週1回の編集会議が開かれることと、セキュリティーが極めて脆弱(ぜいじゃく)であるという情報をつかんでいたからであり、確実に成果が上がり、風刺画による侮蔑表現がエスカレートしている中で、一定の共感を得られると判断し、実行したのだと思う。こうした冷徹な判断が背景にあったことを踏まえると、今回の事件を表現の自由に対する攻撃と捉える見方には、違和感がある。

 今井委員 イスラム過激派がジハード(聖戦)と称するテロ行為が形を変え、姿を変え、標的を変え、ますます広がっていると感じた。2001年の9・11の時は、米国の富とパワーに非常に手の込んだ衝撃的挑戦をしたが、今度は小さな新聞社の編集会議を標的にした。グローバル化して、ネットでつながり、アメーバ的に拡大している。

 ――表現の自由との兼ね合いで、風刺画をどう見るか。

 宮川委員 風刺はギリシャ時代の古くから脈々とつながる文化である。風刺画もフランス革命前後から今日まで西欧文化に根付き、各国にも特有のものがある。権威あるものを笑い飛ばすということは人々に活力を与えてきた。シャルリーの風刺画も、内容への評価は別として、そうした文化の一コマである。

 今井委員 風刺画の持つ意味は、国、社会の成り立ちによって随分違う。いわゆる民主主義の国で、表現の自由が確保されている国の中でも、(事件後のシャルリー紙の風刺画を転載するかどうかの)対応が違っている。英米でも、事件後、各メディアがどう伝えたかを比較分析する記事が随分出ている。つまり、各メディアとも、権威あるもの、あるいは宗教のようなたくさんの支持者がいるものを対象にした風刺画をどのように扱ったらいいか揺らいでいるとの感じを受けた。

 長谷部委員 この漫画は、確かに品がいいとは言いかねるが、しょせんは風刺画。マホメット(ムハンマド)に対する侮蔑的な表現という意味では、よく知られている例だが、ダンテの「神曲」の地獄編の中で描かれている描写の方がはるかに強烈で毒がある。

 私はこの事件をきっかけに表現の自由の限界を論ずることに賛成できない。テロリストの狙いは風刺画に反対する意図の表明にあるわけではない。テロ行為に特定の思想の表現としての意義を与えることにも賛成できない。それを言い出したら、連合赤軍やオウム真理教のテロにも、表現活動の意義を与えるべきなのか、ということになってしまう。

 ――宗教を風刺の対象にすることについて、どう考えるか。

 今井委員 なかなか難問だ。宗教はそれぞれの国や地域、文化の成り立ちの中で、長い歴史を持っていて、その信仰の下で人々の暮らしとか、政治や社会そのものの仕組みを規定している国が少なくない。宗教の指導者、あるいは象徴になる人や物を冒涜(ぼうとく)していると受け止められる恐れのあることを掲載することが、どこまで現実に許されるか、表現する側が慎重に考えるべきだと思う。

 長谷部委員 風刺が風刺として働くためには、風刺として、ユーモアにくるんだ批判として、受け止めるための共通の土壌が必要だが、それがそもそも、イスラム教を奉ずる人たちの社会との間で存在しないとの疑問はあり得る。

 しかし、だからといって風刺を控えるのは、イスラム社会との間に、文化的なアパルトヘイトの壁を築くこと、彼らは我々とは理解し合えない「他者」だと、くくり出してしまう態度に通じるのではないか。

 我々は多元的な価値が共存する社会で生きている。そこでは個々人が自分の生き方を自ら選び、宗教も自分の判断で選ぶリベラルデモクラシーの中で、人々は生きている。信教の自由があるとはいえ、どんな宗教も批判から自由ではあり得ない。

 宮川委員 シャルリー紙の風刺画を、表現の自由か、信仰に対する冒涜かという二項対立で考えることには賛成できない。

 表現の自由の歴史は、神の「神聖」との戦いの歴史でもあった。西欧社会は、神や信仰を冒涜することを理由に、表現の自由を制約することは、公共の福祉に反するという地平に到達している。

 ただ、シャルリーの風刺画にはウィットもユーモアもない。勇気ある挑戦といえるものでもない。単なる嫌悪感の表明であり、侮辱である。排外的な思想や十字軍的世界観が根底にあるのではないかと感じる。

 「私はシャルリー」という標語でデモが結束されたが、現時点では、イスラム社会に共生へのメッセージを伝える表現や言論、行動が必要であると思う。

 ――シャルリー紙が事件後の復刊号に掲載した風刺画の転載をめぐり、国内の主要紙は判断が分かれた。朝日新聞は転載を見送った。長典俊ゼネラルエディターはその理由として「表現の自由は最大限尊重する。特定の宗教や民族への侮辱を含む表現かどうか、公序良俗に著しく反する表現かどうかなどを踏まえて判断している」としている。

 今井委員 朝日が転載を見送ったことは妥当な判断だと思う。国内でも判断が分かれていることが、「表現の自由」の基本原則の下でも多様な判断がありうることを如実に示している。

 宮川委員 朝日が転載しなかったことは、ムスリムの人たちが傷つくことと知る権利に応える意義を比較してのことと理解している。これは一つの賢明な判断と思う。

 他方、熟慮の上で、知る権利に応えるという報道の使命を優先させ転載することも非難されることではないと思う。こうした情報は、私たちが問題を的確に判断するためには有益である。

 長谷部委員 紙面で何を取り上げるか。特に他紙に掲載されたものを転載するか否かは、新聞社の自律的判断に委ねられるべきもの。読者が問題を考える上で、必要不可欠と言えるか、特定の風刺画のみを転載することがかえって判断をゆがめるおそれはないか、内容の品位が朝日にとってふさわしいといえるかなど、考慮すべき点はいろいろだろう。

 ――表現の自由にも条件や制限があると考えるか。

 長谷部委員 最高裁の判例で、表現の自由として保護されないものとして、わいせつ表現、他人の名誉を毀損(きそん)する表現、犯罪の扇動、プライバシーの侵害、児童ポルノがある。これらは表現活動の形はとっていても、社会的な価値もなく、社会全体や他の人々に対して大きな損害を与える活動で、そもそも憲法による保護に値しない。

 それ以外の表現活動は、憲法の保護の範囲内にある。それを制限しようと思えば、十分な正当化の根拠が必要になる。

 宮川委員 人間は自分が抱く思想や価値観を外に表明する自由を持っている。それが仮に無価値で愚劣、強い不快感を与えるものであっても、その時代の節度や良識で、そういった表現を規制することは、私は許されないと思う。そんなことを許せば、マルキ・ド・サド(18~19世紀のフランスの作家)の作品は、私たちのところには届かなかっただろう。

 最高裁は公共の福祉のため、必要かつ合理的な制限を是認しているが、集会開催不許可についての事案では「明らかに差し迫った危険の具体的予見」を求めている。

 今井委員 表現の自由は、民主主義社会の一番大事な原則として守らなければならない。それぞれのメディアが、国民の知る権利との兼ね合いの中で、主体的に、自主自律のもとに判断することがあくまでも基本だ。

 (司会は報道と人権委員会事務局長・中崎雄也)

 ◆キーワード

 <仏週刊新聞襲撃事件> イスラム過激派とみられるアルジェリア系フランス人の兄弟が1月7日、イスラム教の預言者ムハンマドを風刺したパリ市の週刊新聞「シャルリー・エブド」編集部を襲撃し、会議中の記者ら12人を殺害。翌日以降もイスラム過激派とみられる別の男が同市内で警官を射殺した後にスーパーに立てこもり、人質4人が犠牲になった。

 仏全土で連続テロ事件に抗議する行進があり、参加者は「私はシャルリー」というメッセージを掲げて表現の自由を訴えた。11日には計約370万人が参加したとされる。同紙が14日に預言者が涙する風刺画を表紙にした特別号を発行したところ、中東やアフリカ諸国などイスラム教徒の多い地域でデモが起きた。

 日本の大手新聞は、特別号の風刺画を掲載した社と見送った社とで判断が割れた。2月には「第三書館」(東京)がシャルリー紙の風刺画をまとめた本を刊行。在日イスラム教徒が抗議の声を上げた。

 <シャルリー・エブド> 風刺画が売り物のフランスの週刊新聞。タブロイド判の16ページで、AFP通信によると、平均部数は約3万部。前身だった月刊紙「アラキリ」(1960年創刊)は極左的な過激な紙面づくりで知られ、60年代に2度の発行禁止処分を受けた。週刊化された後の70年にもドゴール元大統領の死去を巡る表現で発禁となった。現在の紙名になって再刊されたが、資金難で一時休刊したこともあった。

 ◆PRC(Press and Human Rights Committee)

 PRCは、本社の報道にかかわる人権侵害を救済するための第三者機関です。申し立ては手紙で次の宛先にお送りください。

 〒104・8011 朝日新聞「報道と人権委員会」

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