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 朝日新聞社は今月からパブリックエディター(PE)制度を始めています。社外の3人に本社員を加えた4人が、読者やお客様から寄せられたご指摘やご意見を受け止め、日々の紙面について議論し、報道に生かす取り組みを進めています。

 ■「過ち」認め信頼の基礎に 河野通和さん(季刊誌「考える人」編集長)

 およそ40年前、1人のベテラン記者による調査報告が朝日新聞社の社内報に掲載された。後にこれをもとに書かれた上前淳一郎氏の「支店長はなぜ死んだか」によって、広く世に知られる通称「疋田(ひきた)リポート」(「ある事件記事の間違い」)である。出版ジャーナリズムの世界に興味を持ち始めていた私は、大学生の時に上前氏の著書でこのリポートの存在を知り、現役新聞記者による鋭く本質的な報道批判の内容に衝撃を受けるとともに、新聞のあり方を見直し、「新聞に対する読者の信頼を回復しよう」とする真摯(しんし)で勇気ある疋田桂一郎氏(元朝日新聞編集委員)の姿勢に感銘を受けた。

 ある銀行員が重い心身障害のあるわが子を「餓死させた」容疑で取り調べを受ける。約9カ月後、殺人罪の有罪判決を受けた夜に、彼は電車に飛び込んで自殺する。事件直後に報じられた「冷血で残酷なエリート銀行員」という父親像と、自殺を報じた記事に載った妻の談話内容のあまりの落差に、ベテラン記者の直感が働いた。自ら志願して事件を初めから克明に洗い直し、その結果、鬼のような父親像は新聞によって作り上げられた虚像であることを確かめる。そして、その検証結果を明晰(めいせき)な文章と、新聞人としての強い自責と自戒の念をもって社内に問い、改革の道筋を示したのである。

 当時、海の向こうでは「大統領の犯罪」を追及したウォーターゲート事件報道でワシントン・ポスト紙の声望が高まっていた。この一連の調査報道を牽引(けんいん)したB・ブラッドリー編集主幹にノンフィクション作家の立花隆氏がインタビューした雑誌記事も鮮烈だった。編集主幹が述べた「新聞は必ず過ちを犯す」という言葉。そして、「誤っていた場合ははっきりと過ちを認め」、必ず訂正記事を出すという原則。それが「新聞社と読者の間の信頼感を形成する一歩」だから、という理由――。

 PEという職責は、この信頼感という、もろくて壊れやすい関係を、読者に代わってたえずモニターし、新聞社の内部と社会との「窓」を開く役割だと理解している。先人たちの「遺訓」をかみしめながら、改めて新聞に向き合い始めたところである。

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 こうのみちかず 1953年生まれ。中央公論社(現・中央公論新社)で「婦人公論」「中央公論」編集長などを歴任。2010年新潮社に入社し、現職。

 ■紙面通じた真の対話を 小島慶子さん(タレント、エッセイスト)

 TBS入社1、2年目の1995~96年、「TBSオウム・坂本弁護士ビデオ問題」が起きました。外出先から帰社する際、タクシーで運転手さんに叱られ、当時は社名を口にするのもはばかられました。社内では報道のあり方について議論がありましたが、一方でバッシングを恐れて萎縮しがちな人もいました。

 昨年から厳しい批判にさらされている朝日新聞の記者たちは、萎縮していないでしょうか。読者からの声に向き合っているのでしょうか。「思ったことを言う」「現状を疑う」ということが今、とてもしづらくなっている気がします。だからこそ、報道機関は内輪の理屈を優先したり、批判を恐れて口をつぐんだりしてはならないと思います。

 読者の声に実際に目を通すと、真摯(しんし)な批判もある一方で、感情的な罵声もあります。しかし声を寄せるということは、何か伝えたいことがあるはずです。私は、彼らが自分の鬱屈(うっくつ)を、なぜ建設的な批判ではなく罵(ののし)りにするのかに関心があります。

 世の中から「お前の事情など知るか」というメッセージを受け続けていると、意見とは自分の痛みや希望を語ることではなく、誰かをたたき、罵ることだと思ってしまうのかもしれません。でも、もし違うやり方があると知ったら、その怒りのエネルギーは世の中を変える力になるかもしれないとも思います。

 怒りを表す「違うやり方」があるとしたら、たぶんそれは「私は」と語ることでしょう。それはとても怖いことかもしれない。でも、あなたの痛みはあなたにしか語れないのだから「私はつらい」「私は疑う」と声を上げていいのだ、と労(いたわ)り励ます場が今、必要なのではないかと思うのです。新聞は本来、そのように人々の思いに光を当て、言葉を与える場ではなかったのでしょうか。

 朝日新聞を作る人々が、読者の声を「これは社ではなく、自分に向けられた声だ」と思って聞いているのか、取り組みが始まったばかりの現時点では、私にはまだ分かりません。紙面を通じた読者との対話が本当に成立しているのか、誠実に語られる言葉のやり取りになっているのか、注視していこうと思います。

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 こじまけいこ 1972年生まれ。TBSアナウンス部に勤務し、2010年退社。テレビ出演やエッセー執筆などを行っている。著書に「解縛(げばく)」など。

 ■多様な意見吸い上げて 高島肇久さん(元NHKキャスター)

 4月6日の朝。東京の朝日新聞の1面トップの見出しと記事に違和感を覚えた。菅義偉官房長官と翁長雄志沖縄県知事の初会談を伝えたものだが、主見出しは知事の言葉から「辺野古移設『絶対できない』」。添えられていたのは、翁長知事が目を合わさずに菅長官と対峙(たいじ)する写真だ。「会談は平行線に終わるだろう」と思ってはいたが、この見出しで「予想を超える対立点が出たのか」と驚いた。在京他紙は全て「会談は平行線」。朝日が突出していた。

 普天間と聞くと、私は市街地に囲まれた基地と隣接の沖縄国際大学に残るヘリコプター墜落事故の痕跡を思い出す。何故こんな状況が放置されるのか。オスプレイ配備時にあれほど危険を叫んだのに、飛び始めるといつの間にか静まってしまう。事故はいつ起きるかわからないし、墜落の場所が学校だったらと考えるといたたまれない。この状態を無くす早道は名護市辺野古への移転だと私は思う。県外や国外の議論はそれと並行して進めれば良い。米軍機は明日も明後日も普天間に離着陸し、飛行コースの下には、普天間の住民が、子供たちがいるのだから。

 全国紙の朝日新聞には「沖縄の怒り」という常套句(じょうとうく)を書き連ねるのではなく、危険をなくすために今何をすべきかの提示を求めたい。菅・翁長会談の後、朝日新聞への読者の声には「辺野古に反対なら対案を示してほしい」という意見が少なからずあった。紙面作りでもう少し幅を広げ、多様な意見を吸い上げてもらいたいと思う。

 4月8日。パブリックエディターの初会合が開かれ、私はこれらの点を発言した。9日後、安倍晋三首相と翁長知事の会談が行われたが、翌朝の東京の朝日新聞1面トップの主見出しは「首相と翁長知事 平行線」。写真は握手を交わす2人の姿で菅・翁長会談の時とは様変わりしていた。政治状況の変化か、編集側のどんな判断か、いずれ聞いてみたいが、紙面には落ち着きが感じられた。

 パブリックエディターとはいかなる仕事かと自問する毎日だが、違和感を覚えた時にその感覚の拠(よ)って来たるところを見極め、伝えることを当面の仕事にしようと考えている。

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 たかしまはつひさ 1940年生まれ。NHKでワシントン、ロンドンに勤務、「NHKニュース・21」キャスターなどを歴任。外務省外務報道官も務めた。

 ■読者代表として向き合う 中村史郎(本社パブリックエディター)

 「パブリックエディターって何?」「どう意見を伝えたらいいのか」「どんな基準で人選したのか」――。3月下旬にパブリックエディター(PE)制度の発足を発表して以来、読者のみなさまから多くの問い合わせをいただきました。

 PE制度は朝日新聞社の記事取り消しなどの問題への反省を踏まえて導入されました。本社には、読者やお客様のための窓口である「お客様オフィス」をはじめ、さまざまな部署に記事に対する意見や疑問、時には抗議が寄せられます。こうした声を集めて、主な意見をPEの間で毎日共有します。それを元に週に1度、会議を開いて話し合い、疑問に感じる点は編集部門に説明と改善を求めるという仕組みです=図。場合によっては訂正を求めることもあります。いわば読者の目線で報道を点検する「読者代表」。読者目線の紙面づくりに向けた提言もしていきたいと思います。

 欧米にはPEやオンブズマン、読者エディターといった制度を持つ新聞社があります。ニューヨーク・タイムズには他社の記者から招いたPE1人が常駐しています。朝日新聞は今回、テレビや雑誌など、新聞以外のメディアで活躍してきた経験豊かな3人の方にお願いしました。朝日の記者出身の私を含めて、いろいろな視点から新聞社の「常識」をただしていきます。

 まだ始まったばかりですが、すでに厳しい意見が出ています。4人の見方が一致するとも限りません。そもそもジャーナリズムに「正解」はないと思います。実験的な試みですが、試行錯誤をしつつ、「ともに考え、ともにつくるメディア」を目指します。

 ◆キーワード

 <TBSオウム・坂本弁護士ビデオ問題> 1989年、TBSの番組スタッフが、オウム真理教幹部らに「被害者の会」の坂本堤弁護士が教団を批判している録画を放送前に見せた。その後、同教団は坂本弁護士一家を殺害。同社は96年、録画を見せたことを認め、謝罪した。

 ◇5月から原則毎月第4土曜にパブリックエディターからの報告を掲載します。

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