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 「戦争花嫁」といっても、若い世代にはピンと来ないかもしれない。

 70年前の敗戦後、連合国軍による占領期には、数十万人にものぼる米国の軍人や軍関係者が日本に駐留した。そこで、多くの米国人が、「敵国」だったはずの日本の女性たちと恋に落ちた。

 彼らと結婚した日本人女性は、夫について海を渡り、見知らぬ国へと旅だった。そうした女性たちは「戦争花嫁」と呼ばれたのである。

 日本から米国に渡った戦争花嫁は、5万人近いと言われる。そのドキュメンタリー映画が、このほど完成した。

 「七転び八起き 日本人戦争花嫁」と題された30分弱の短編映画は、3人の戦争花嫁の娘たちがプロデュースした。80歳代になったそれぞれの母親へのインタビューを核とした作品である。

 3人は、共通の知人などを通じて知り合い、20年以上の交友を続けている。

 映画作りを着想したのは、東京に住むジャーナリスト、ルーシー・クラフトさん。4年前、フォトグラファーのカレン・カズマウスキさんとワシントンで再会し、お茶を飲んでいたときだった。

 ワシントン・ポスト紙の編集者・キャサリン・トルバートさんは、以前から、戦争花嫁についての出版計画を2人に話していた。そんな縁から3人一緒に、映画を作ることになった。

 といっても、3人とも本格的に映画を作った経験はない。ブルーチョークという制作会社と組み、インターネットを使った資金集めで、制作費を捻出した。

 「キックスターター」のサイトを使うと、わずか10日で目標額の2万5千ドルに達し、最終的には4万ドル近くが集まった。戦争花嫁の子や孫だったり、親戚だったりという人からの寄付が多かった。キャサリンは、思い出の詰まったメールを印字して大切に取っている。

 戦争花嫁たちが、差別を受けたり、冷たくされたりするのはざらだった。キャサリンの母は、夫の家族から本名ではなく「スージー」と呼ばれた。

 ルーシーの母は、ルイジアナで暮らした当時、バスが白人と黒人の席に分かれていた。どちらに座ればいいかわからず、真ん中あたりに座り、ここは違うと言われればその通りに動いた。

 カレンは、父親に聞いたことがある。「なぜ、お父さんは敵と結婚したの?」。父は「日本の人々は敵ではないんだよ。戦ったのは、それぞれの政府同士なんだ」と言った。

 すべての結婚が成功だったわけではない。それでも「戦争花嫁の存在は、敵同士だった人々も許しあい、前に進めることを示している」とカレンは語る。

 「私たちは、どうやったら、見た目や出身地によって差別されない社会を作れるのか」。ルーシーは、映画をそんな物語として見てほしいという。

 来月、このドキュメンタリーの放映を検討している海外の放送局がある。日本国内での上映は未定だが、ウェブサイト(www.fallsevengetupeight.com)で知らせていくという。

 (アメリカ総局長)

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