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 戦後日本は70年という、人の一生に近い月日を重ねました。その歩みをどうとらえ、どんな将来を見据えたらいいのでしょうか。日本の転換点を探り、戦後の、そしていまの日本のありようをみなさんと考えるのが、この企画です。アンケートに寄せられた様々な転換点を、まず紹介します。

 

 ■東海道新幹線…経済発展のバズーカ/東日本大震災…科学と経済、過信痛感

 朝日新聞デジタルのアンケートには、体験も踏まえた100を超える転換点が寄せられています。バブル崩壊、安全保障法制をめぐるいまの動き、東京五輪を挙げる方が多いようです。今回は年代ごとに挙がった転換点の一部とともに、各界で活躍する方々の見立てを紹介します。

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 ●朝鮮戦争の勃発(1950年)

 戦後の日本の復興とその後の日本の世界経済に於(お)ける重要性を作るきっかけとなった。(男性・70歳以上)

 ●サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の署名(51年)

 アメリカの「属国」という、自律性のない政治体制を作り上げたスタート地点。(男性・60代)

 ●60年安保(60年)

 戦後民主主義が広がるなかで、結局、民衆は権力に勝てないという現実を突きつけられた。「経済>民主主義の確立」という心性が作り上げていかれた。(男性・20代)

 ●東京五輪(64年)

 銀行へ初任給1万2800円で入行。賃金もインフレーションに連動して急上昇。サラリーマンの未来はバラ色であった。そこへオリンピック記念100円銀貨が発行された。やや黒色に錆(さ)びた記念銀貨が今も赤い年金証書の中に挟まれている。(男性・70歳以上)

 ●東海道新幹線開通(64年)

 経済発展の巨大バズーカ。自宅から約100メートルという距離を通る新幹線の工事を、ずーっと見てきました。開通までの世の中の期待感と開通してからの頼もしさ、そしていまだに発展性を感じられるものは他に探せません。(男性・50代)

 ●変動相場制への移行(73年)

 貿易立国を目指すことを教えられてきた。移行後は円高で、生産は海外にシフトされていき、国内生産はリストラ、多くの雇用が失われて地域は衰退。(男性・60代)

 ●バブル景気(80年代)

 拝金主義が跋扈(ばっこ)した。今に至る市場原理主義、勤労者の使い捨ての源流。日本人のモラルや知的水準も低下した。(男性・40代)

 ●冷戦終結(89年)

 それまでアメリカが対ソ連の軍備競争に主力を注いできたが、庇護(ひご)してきた日本にも、要求を押しつけるように。(男性・50代)

 ●95年前後

 「停滞感」や「閉塞(へいそく)感」が漂い始めた。阪神大震災、オウム事件(日本人の宗教観や若者のあり方を見つめ直す事件)、ウィンドウズ95の発売(本格的なインターネット時代の到来)という大きな出来事もあった。(男性・30代)

 ●拉致被害者5人が帰国(02年)

 本当に日本の地に降り立ったのをテレビで見たとき、感動しました。まさか今になっても帰国者が増えないとは。(女性・40代)

 ●東日本大震災(11年)

 科学と経済で進歩、解決できると思ってきた自信が過信だったことを痛感し、価値観が百八十度かえられた。(女性・40代)

 ●安保関連法案(15年)

 法治国家が瓦解(がかい)していく。法制化したいのであれば、憲法改正に取り組むのが筋。「解釈」で行ったことに「恐ろしさ」を感じる。(女性・40代)

 ◆朝日新聞デジタルのアンケートから抜粋。

 

 ■講和条約締結…未解決な問題の発端/アイドル登場…ポストモダン幕開け

 ●作家・元外務省主任分析官、佐藤優さん 1951年のサンフランシスコ講和条約締結

 戦後日本の最も重要で未解決の諸問題は、この条約が発端となっている。早期の講和を望む日本は沖縄だけ独立の対象から外し米軍基地を押しつけ、範囲もあいまいなまま千島列島を放棄した。この条約は国際法でいう「処分的条約」。敗戦国の処遇を決めるもの。それを受け入れて国際社会に復帰したのに、戦犯を祭る神社に国のトップが参拝したり、東京裁判を否定したりするのは、国際政治のルールブックを無視する行為だ。我々は講和体制という世界秩序に組み込まれているのに、その意味を消化してこなかった。そのツケがいまきている。

 ●ハンマー投げ選手・室伏広治さん 1964年東京五輪

 陸上のボブ・ヘイズ(米国)が男子400メートルリレーで優勝した瞬間に、空に思いきりポーンとバトンを投げた。日本では「物を投げるなんて」という時代にです。私の中京大の指導教員だった桜井伸二教授は「五輪って自由だな、解放された感じがした」と振り返ります。

 誰もが、そういう自分のシーンを持っている。それを何か自分の自信にして、戦後の日本をつくっていったのだと思うんです。出来ないことを乗り越えようとするアスリートの姿に自分を照らし合わせ、乗り移らせて、あたかも自分が達成したかのように思える。だから熱狂する。

 ●アイドル評論家・中森明夫さん 1971年6月1日、南沙織「17才」でデビュー

 日本のアイドル第1号は南沙織だと言われている。スターの時代からアイドルの時代へ。それは「大きな物語」が終わり「小さな物語」=ポストモダン=の時代の開幕を告げた。大きな物語とは? 戦後の高度成長だ。この年、ドルショックで円が切り上げられる。当時、沖縄はまだ返還前年。米国占領下の南島からやって来た長い黒髪の少女が日本のアイドル第1号になったのは象徴的だ(「アメリカの影」を帯びている)。さらに「17才」でデビューした時、実はまだ南沙織は16歳だった!(アイドルは最初から「虚構」を孕〈はら〉んでいた)。この時から日本はいまだ「アイドルの時代」の内にある。

 ●コラムニスト・漫画家、辛酸なめ子さん 地下鉄サリン事件(95年)

 過激な宗教組織が起こした許されざる犯行のせいで、日本人全体が精神世界や宗教などに抵抗感を持ってしまった気がします。メディアにおいても、スピリチュアルなものごとにハマっている人を、必要以上に怪しんだり、揶揄(やゆ)したりする風潮が続いているのは残念です。

 ●批評家・社会学者、濱野智史さん 特になし

 日本社会の特徴は、どんなに大きな変化でも、日本的につくりかえ、変化や転換よりも、その「変わらなさ」が際立つところにある。ネットの普及は世界的な変化ですが、他の国との共通点よりも、「日本的」としか言いようがない、昔から続くコミュニケーションの技法の連続性に目が行きます。

 物づくりから、サービスやコンテンツ産業へという産業構造の変化は多くの人のライフスタイルを変えましたが、それにあう社会制度にしようとはなかなかなりません。この「変わらなさ」が「戦後70年」の日本の感覚なのかなと思います。

 ◆いただいた回答を短縮しました。全文は朝日新聞デジタルのフォーラムページでご覧いただけます。

 

 ■今と将来の日本、見据えるために

 戦後という言葉は、ちょっと不思議な言葉です。文字どおりの意味は戦(いくさ)の後。「戦」が何という名前で、勝ったのか、負けたのかも明示せず、戦争の「後」とは書いているが、いつまで「戦後」なのかははっきりしない。

 実際、70年間のなかで、「戦後は終わった」あるいは「終わらせたい」という言葉は何度も使われてきました。古くは、「もはや戦後ではない」(1956年経済白書)、「戦後政治の総決算」(85年、中曽根康弘元首相)、最近で言うならば、安倍晋三首相が言う「戦後体制(レジーム)からの脱却」もその一つでしょう。

 戦後という言葉は、ちょうどいい具合にあいまいなのです。だから、いろんな人がそれぞれのイメージをもとに「戦後」社会を語れます。もしかしたらそれぞれの人が全然違うものを「戦後日本」と呼んでいる可能性はないでしょうか? もう共通の「戦後社会」像なんてないのかもしれません。

 実は、今回のテーマはこの問いから生まれました。メディアはとりわけ夏になると、先の戦争を巡る記憶や事実の発掘に力を入れます。二度と戦争を繰り返さないと誓ったのが戦後社会の出発点と考えるからです。共通の戦後社会像が前提にあります。でも、もしそうじゃないとしたら?

 今回、まず、みなさんとともに考えるのは戦後日本の転換点となる出来事と、そう考える理由です。転換点を探ることは、いまの日本の姿や将来の姿を見据えることにもつながると思うからです。次に、「戦後」がいつ終わるのかについても尋ねます。「戦後」というとらえ方とどうつきあうべきなのかを、一緒に考えませんか。(高久潤)

 

 ◇次回8月2日は『日本の転換点:2 政治、経済、それとも…』

 ◇朝日新聞デジタルのフォーラムページ(http://t.asahi.com/forum別ウインドウで開きます)でアンケート「日本の転換点」を実施中です。ご意見はasahi_forum@asahi.comメールするへ。

 

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