[PR]

 漱石の小説「門」では、末尾近くで、主人公宗助が鎌倉の禅寺を訪ね、数日、座禅をする。その描写は、かつて若き漱石が円覚寺で座禅をした経験を踏まえている。

 盛夏の日曜日、イギリスの日本近代文学研究者、スティーブン・ドッド・ロンドン大学東洋アフリカ研究所教授(60)らと、円覚寺を訪問、座禅を体験した。

 そびえ立つ山門の右手の坂を、回り込むように上ると、塔頭の一つ、帰源院(きげんいん)がある。ここで120年前、20代の漱石が2週間ほど滞在し、円覚寺内の僧堂に座禅に通った。現住職の富沢宗実さん(47)は、晩年の漱石と親交があった禅僧、富沢敬道の孫にあたる。

 「漱石は帰源院で座禅をしたのではありませんが、今日はここでやってみましょう」と漱石自筆の手紙の額がかかる一室で、富沢さんは、座禅のイロハを教えてくれた。足を組んでももに乗せ、骨盤をしっかり立て、下腹に力を入れる。背骨を伸ばし、その上に首、頭を乗せる。なかなか難しい。

 10代から仏教に興味を持ち、日本のお寺で修行した経験もあるというドッドさんが、最もサマになっている。「禅の魅力は、シンプルでプラクティカルなことです」と、流暢(りゅうちょう)な日本語で語る。

 15分ほどの座禅を3回。目を半眼にし、座っていると、セミの声、扇風機が回る音。時折、近くを通る横須賀線の走行音。

 最近、禅が見直され、若い人や外国人も座禅にくるという。「ヨガなどの健康ブームに加えて、禅に精神的な安定を求めるからでしょう」と富沢さん。漱石の時代は「より内面的に自己を探求し、精神を高めるためのようです」。

 とはいえ、漱石も宗助も、座禅をして開眼したわけではない。ただ、自分と向き合う時間、なにかを一心に探る時間は貴重だったはずだ。私も座禅の後は、ちらかっていた部屋を掃き清めたあとのような、さっぱりした気分になった。

 帰源院は非公開。円覚寺境内の居士林(こじりん)などで、土曜、日曜に一般向けの座禅会がある。問い合わせは0467・22・0478。

 (牧村健一郎)

 ■小説と響き合う

 <ドッドさんの話> 漱石の小説の特徴の一つは、答えは全然ない、という点です。100年後のわれわれ読者は、今もその小説の謎を解こうとしているからこそ、作品はいまだに意義がある。「門」の主人公は円覚寺で修行しても、悟りを開けなかった。謎が解けないので、非常に苦しく、さびしいが、小説は、禅と響きあうものがあるように思います。

 ◆連載開始にあたって 漱石「門」を21日から月~金曜日に掲載します。10月からは第1・第3月曜は連載を休載、あらすじや解説を盛り込んだ「『門』ガイド」を掲載します。現代の読者に読みやすいように、本文は現代仮名遣いの岩波文庫版に準拠します。作品中には現代の観点から見ると差別的に見える表現や、漢字や振り仮名に現代と異なる表記がありますが、原文通りに掲載します。

 題字や日付は、105年前の連載当時(東京朝日新聞)の紙面を元にしています。注釈は石崎等・元立教大教授による岩波文庫版の注釈をもとにしています。作品に関係したミニコラムも随時掲載します。

 連載や関係記事は、朝日新聞デジタルの特集ページ(http://www.asahi.com/special/soseki/)でも読むことができます。

 ◇ツイッター(@asahi_soseki)でも情報を発信します。

 <訂正して、おわびします>

 ▼18日付文化・文芸面の「漱石 門 ふたたび その世界5」の記事で、円覚寺境内の「居士院(こじいん)」とあるのは「居士林(こじりん)」の誤りでした。

こんなニュースも