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 いまから127年前の夜、熊本市一帯を強い地震が襲った。寝入りばなを襲われ、家屋の下敷きになった人が多かった。加藤清正の築城以来、堅牢さをほこる熊本城の石垣「武者返し」が何カ所も崩れた▼当時の記事をみると人々を不安にさせたのは流言飛語だ。近くの火山で地震の数日前に鳴動を聞いた住民がいた。「地震の次は大噴火だ」。うわさが駆けめぐる。浮足立った人々を落ち着かせようと、巡査が村々に送り込まれた。東京から来た著名な地質学博士が「鳴動しても大事には至らない」と宣言。ようやく収まった▼死者20人、負傷74人、全半壊400余を数えた。余震が非常に多く年末まで800回も揺れた。これが不安を募らせた。1889(明治22)年のことだ▼今回の地震で被害が集中したのは、益城町、宇城市、熊本市一帯。明治の被災地と重なる。地震の規模もほぼ同じ。どちらも就寝時に起きて、余震が激しく、お城の石垣を壊した▼震度7とはどんな揺れなのか。「トラックが家に突っこんだ音」「乱気流にぶつかった飛行機の振動」。過去の被災者の言葉だ。今回、益城町の女性は「地面がぐるぐる回った」と表現した。未経験者の想像を超える▼さて、震災という文字は震と災に分けられる。震は地球の営み。人には避けようもない。けれど災なら人の力で減らすことができる。いま熊本の急場は震から災へ。阪神や中越、東日本で犠牲を払いながら私たちが学んだ減災の知恵を総動員するときである。

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