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 リオデジャネイロ・パラリンピックの女子ゴールボール日本代表の「守護神」と、タレントで日本財団パラリンピックサポートセンター顧問のマツコ・デラックスさんが語り合った。光のない世界で見つけた「希望」とは。(構成・榊原一生 写真・金川雄策)

 浦田(以下、浦) あっ、いいにおいがする。

 マツコ(以下、マ) ほんと? 汗かいてるけど。

 浦 私は両目が見えないので、においや音に敏感なんです。マツコさん、お風呂上がりのいいにおいがします。触ってもいい?

 マ いいわよ。たぶん、お相撲さんみたいよ。

 浦 うわっ! ブラジルの選手よりもデカい。テレビやCMで声は聞いていましたが、想像より二回りぐらい大きくてびっくり。

 ■聴覚を研ぎ澄まして

 マ 普段はどこの感覚を研ぎ澄ませているの?

 浦 一番は音ですね。例えば人の機嫌は声とか音で判断します。目が見えなくなってから、耳の感覚とイメージする想像力が以前よりも高まりました。私、イヤリング全く持っていないんです。耳が命だから。

 マ 人間ってすごいね。何かの機能を失えば他の神経が補おうとするのね。もちろん相応の努力は必要だろうけど、確実に進化をしている。目が見えなくなったのはいつだったの?

 浦 20歳の時です。小学校の先生を目指していた矢先、難病で子どもの顔が見えなくなりました。先生になる夢を諦めなくてはならず、親に弱みも見せられない。しばらく一人暮らしの自宅に引きこもりました。1年半後、意を決して親に打ち明けた時には、もう母の顔は見えなくなっていた。後悔しました。今みたいに笑える日がまた来るとは、その時は思ってもみませんでしたね。

 マ 逆境を乗り越えて再び普段の生活を手に入れることはそうたやすいことじゃない。浦田さんに前を向かせて生きるきっかけとなったのは、やっぱり競技との出会いだったのよね。

 浦 そうです。実はそれまではスポーツに興味がありませんでした。2004年アテネ大会で女子ゴールボール(GB)が銅メダルに輝いたのを知り、格好いいと思った。見えない人が大舞台で自分を表現している。私もと思ったんです。

 ■挑戦する意欲持てた

 マ 浦田さんにとっては過酷な運命だったけれど、見えなくなったことで逆に「見えた」こともあったんじゃないの?

 浦 目が見えていた時は、周囲の目や失敗を恐れ、何かに挑戦することを避けていた。でも試練を味わい、それからは何でもやろうと意欲を持てた。だからチーム競技のGBにもトライできた。障害を負っていなければ、仲間と味わう一体感は感じられていなかったでしょうね。

 マ 競技経験のないところから始めて、今や日本の「守護神」でしょ。運動神経が良かったんでしょう。

 浦 いや。最初はダメダメでした。1・25キロの球を下から投げる筋力もなく、胸で受け止めた時は肋骨(ろっこつ)が折れました。体力がないから一日20分歩くことから始め、それを1カ月継続できたら、チームに入れてやると言われたんです。

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