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 日本軍による真珠湾攻撃から75年を迎えた。米ハワイでは8日(日本時間9日)、初めて日米共催の追悼式典も行われる。27日には安倍晋三首相が真珠湾を訪問することになり、和解のムードが高まっている。日米開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃の教訓をどう後世に伝えるのか。その歩みは続いている。

 真珠湾に沈む戦艦アリゾナの上に設けられた「アリゾナ記念館」を望む埠頭(ふとう)で行われた7日(日本時間8日)の式典には、生き残った米国の退役軍人ら約4千人が出席。日本からは、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六(いそろく)・連合艦隊司令長官のふるさとの新潟県長岡市の磯田達伸市長らも参加した。

 日系人として初めて米太平洋軍司令官となったハリー・ハリス海軍大将が「かつての敵が最も親密な友人になった」と演説した。同じ日系人のデービッド・イゲ・ハワイ州知事も列席。安倍首相の真珠湾訪問が決まったこともあり、例年以上に日米の和解をたたえる声が相次いだ。

 8日には初めて、真珠湾攻撃で戦死した日本兵と米兵を共に弔う、日米共催の追悼行事があり、80人が出席する予定だ。

 式典に参加した元軍人には首相に謝罪を求める声がある一方、真珠湾訪問を歓迎する言葉も出た。

 当時、攻撃を受けた米軍人の生存者では最高齢のレイ・チャベスさん(104)はサンディエゴから駆けつけた。「両国はもう友達なのだから、安倍首相の訪問は良いことだ。両国首脳がよく話し合って、平和を築いていくことが必要だ」と語った。攻撃時に基地にいたロバート・バターソンさん(95)も「これまでの式典で日本人に会い、今は友人となった。首相の訪問決定に満足している」と話す。(ホノルル=平山亜理、高野裕介)

 ■国内でも追悼

 太平洋戦争開戦から75年を迎えた8日、国内各地でも追悼行事や戦争について考える集会が行われた。

 真珠湾攻撃を指揮した山本五十六・連合艦隊司令長官の出身地、新潟県長岡市はハワイ・ホノルル市と交流を続けている。8日夜、日米両国の犠牲者らを追悼し、平和を祈る花火6発が打ち上げられた。花火は長岡市が2011年に始め、翌年から市民らが引き継いだ。実行委員長の渡辺千雅さん(61)は「12月8日の意味を忘れている人が多い。次世代につなげるために続けている」と話した。

 青森市では「12・8太平洋戦争開戦の日 青森集会」(県九条の会など主催)が開かれた。同市からは11月、安全保障関連法に基づく新任務「駆けつけ警護」などを付与された陸上自衛隊の部隊が、国連平和維持活動(PKO)のため南スーダンへ出発した。参加した赤平加奈恵さん(28)は「戦争は遠い出来事だったが、今は南スーダンに青森の若者が行くなど身近だと思う。平和が一番と訴えていきたい」と訴えた。

 ■米兵遺品の水筒で献酒、25年 首相訪問に「報われた」 静岡の医師

 7日の式典に、静岡市に住む医師菅野寛也さん(83)の姿があった。安倍晋三首相の真珠湾訪問に特別な思いを抱いていた。そのわけは、毎年のように持ってくるひしゃげた水筒にある。

 菅野さんは1972年から静岡で、戦時中に空襲などで亡くなった日米の犠牲者の慰霊祭を催している。91年からはほぼ毎年、真珠湾の式典に参加する。

 首相の慰霊が決まった今回は、とくに「和解」という言葉が重く心に響いた。

 菅野さんは毎回、真珠湾に水筒で献酒をしている。焼け焦げ、人の指の形がくっきりと残る水筒だ。小学生の時に遭った静岡での空襲で、墜落した米軍の爆撃機B29の搭乗員の遺品だという。真珠湾攻撃がなければ、静岡空襲もなかった。そんな思いで通い続ける。最初は米国人からいぶかしげに見られた。水筒を見せて亡くなった米兵を弔いにきたことを説いた。今では退役軍人の協力で祭壇が用意されるようになった。

 理解が広がる一方、限界も感じていた。「日米の和解の空気を広げるためには、国のしかるべき人が戦争のきっかけとなった真珠湾に来るべきではないか」との思いが強くなった。約3年前、講演で静岡に来た安倍首相に会い、真珠湾に献酒していることをつづった自著を手渡した。その行為が今回の訪問につながったとは思わない。でも、「自分のやってきたことが、報われた気分。首相にはしっかりと哀悼の意を表して欲しい」と話す。(ホノルル=高野裕介)

 <訂正して、おわびします>

 ▼9日付社会面の真珠湾攻撃から75年を迎えた追悼式典の写真説明で、「米ハワイ・ホノルルで」とあるのは「米ワシントンで」の誤りでした。通信社の説明文を訳す際、確認が不十分でした。

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